密航

【密航】
安政元年(1854)3月、下田に来ていたアメリカの黒船に密かに乗り込み、アメリカに対して堂々と自分を連れて行けと主張した吉田松陰先生この時25歳。日本人は見たこともなく、見上げただけでびびる黒船に自ら乗り込んでアメリカに密航しようと企てるなど、やることホント狂ってます。けれども、行ってみたいという好奇心が勝ったんでしょう。そもそも萩から下田までもえらい遠いです。
米国のペリーはめっちゃビビったのと、こんな若者がいる日本はすげえと感じ入ったらしいです。
一筋に信念を持って行動することは、その時点ではあまり多くに理解されなくても、後世、そのことを知った同じく狂った後進が必ず理解し後に続くのでしょう。そんな日本人がわらわら出てくるとの思いが伝わる、吉田松陰先生らしい極めつけに狂った行動がたまらなく好きです。そのような先人の偉大さに感謝しつつ今を生きたいと思います。
今日は79回目の終戦記念日です。欧米列強相手に一発かました、日本国の真骨頂だったとわたしは思っています。誇りを胸に勇気をもって立ち上がった、ご先祖さまたちは誠にあっぱれでした。これでアジア諸国から200年続いた欧米の植民地が一掃されることになります。
戦争ですから、相手の都合と当方の意図がぶつかり合っただけです。そして、緒戦のハワイ真珠湾攻撃及びマレー作戦及びシンガポール陥落で、米英に対してひとかたならぬ衝撃を与えたことは歴史の事実です。
その後、軍隊の攻撃とは到底言えない無差別虐殺、それ以上の言葉で非難すべきさもしき東京大空襲、沖縄戦、原子爆弾2発の投下といった、戦争の名に値しない所業を行った米国、それから中立を破って勝手に侵攻してきたソ連、それから、大戦後に建国したくせに抗日戦線などとのたまう中華人民共和国、これらが国連の常任理事国だというのも笑えない歴史の事実です。
事実を真摯に学び、強く賢くなりたいものです。
開戦は回避できなかったのかのご質問ありがとうございます。日米開戦をできるだけ穏当に判断していくとどうなるか、というお話は、わたしも大好きな紺碧の艦隊、旭日の艦隊に詳しいところです。
しかしながら、日本の伸長を許さない欧米は、必ずハルノートのようなふざけた要求をしてくるし、さらに石油禁輸などという息の根を止めてくる汚い手を使ってくるのは必定で、やはり開戦は避けられなかったとわたしは思います。
なぜ東京大空襲や沖縄戦、加えて原爆二発などという戦争犯罪の極致、非道の極みに手を染めたのか。
それは、海では特攻機が、島には硫黄島の2万人が立て籠もり、すり潰されても引かない敢闘精神を示して物量じゃない人間の格の違いを見せたからです。
連中はこれを心底恐れた。わずかに残る誇りもかなぐり捨てて、無差別殺人兵器による幕引きを図ったわけです。ヤルタでこそこそ集まって、秘密契約なんかを結んで、勝手に世界地図を再分配しようとしたわけです。
そんな欧米中ソに、人間の卑しさをこれでもかと曝け出させた結果、アジアアフリカの人たちは、戦後続々と独立していきました。
あいつらモノは持ってるけど大したことはないと踏んだのです。
話がずれましたが以上です。
以上