警察庁長官引責辞任
さすがに来月の国葬の警備をこのままの体制ではできないので、妥当な判断でしょう。
おつかれさまでした。
以下記事引用
警察庁の中村格(いたる)長官(59)は25日の記者会見で辞職する意向を明らかにした。安倍晋三元首相(67)が7月に奈良市で街頭演説中に銃撃されて死亡した事件では、奈良県警の警備態勢の甘さが指摘されており、警察組織のトップとして事実上の引責辞任となる。中村氏は会見で「重大な結果を招き、極めて重く受け止めている。本日、国家公安委員会に辞職を願い出た」と語った。警察庁長官が個別の事件の責任を取るのは異例。後任の第30代警察庁長官には、露木康浩次長(59)が就任する方向で調整している。
中村氏は会見で「来月には安倍元首相の国葬、来年5月にはG7広島サミットも控えている。新たな警護をこれから進めるという状況の中で、人心を一新した新たな体制で臨むのが当然であろうと考えた」と辞職する理由を説明した。辞意を固めたタイミングについては「私の内心の問題であり、答えは控えたい」とした。
事件は7月8日午前11時半ごろ、奈良市の近鉄大和西大寺駅北口の交差点で発生し、後方から銃撃された安倍氏が死亡した。警察庁が警備の問題点や改善すべき点を「検証・見直しチーム」を設置して調べたところ、事前の計画で後方からの銃撃などを十分に検討していなかったことや、事件発生時に後方を重点的に警戒する警察官が不在だったことなどの不備が明らかになった。警察庁はこうした内容を報告書にまとめ、25日に公表した。
今回の安倍氏の警備は奈良県警が担い、警察庁は関与していない。ただ、銃撃によって安倍氏が亡くなるという最悪の事態となったことを重く受け止めたとみられる。
中村氏は7月12日の記者会見で「警察として責任を果たせなかった。慚愧(ざんき)に堪えない。都道府県警を指揮監督する立場である警察庁長官としての責任は誠に重いと考えている」と述べていた。
中村氏は福岡県出身。東京大法学部を卒業後、1986年4月に警察庁に入庁した。刑事畑が長く、警察庁組織犯罪対策部長などを歴任。2009年9月からは約5年半にわたり、旧民主党と自民党の両政権で菅義偉氏らの官房長官秘書官を務め、警察庁官房長、次長を経て21年9月に第29代長官に就任した。今年4月には、重大なサイバー攻撃などを捜査する専門部隊「サイバー特別捜査隊」を警察庁の関東管区警察局に新設させるなどした。
奈良県警本部長も辞任
安倍元総理大臣が銃撃され死亡した事件を受け、国家公安委員会は25日、奈良県警のトップ・鬼塚友章本部長ら幹部2人を懲戒処分としました。鬼塚本部長らは辞職の意向を示しているということです。
国家公安委員会は25日、奈良県警の鬼塚友章本部長と県警本部の警備部長をいずれも減給の懲戒処分としました。
警察庁によりますと、鬼塚本部長らはいずれも辞職の意向を示しているということです。
処分の理由については、「適切な警護計画の作成に徹底を欠き、現場の警護措置に不備を生じさせ、安倍元総理の安全を確保することができなかった」としています。
警察庁は25日、取りまとめた警護についての検証・見直し結果の報告書の中で事前の警護計画について「安倍元総理の後方に危険があることは明らかであったが、これが見落とされていた」「本部長までの決裁を経たにもかかわらず、必要な検討や指摘がなかった」などとしています。
鬼塚本部長は事件翌日の会見で「今回の警護警備に問題があったことは否定できない」「27年余の警察官人生での最大の悔恨、痛恨の極み」などと述べていました。
会見詳細
8月25日、奈良県警の鬼塚友章本部長が会見を開き、「県下の治安責任を有する警察本部長として重大かつ深刻な事態を招いたことに対し責任を痛感している」と話しました。
安倍元総理が参院選の応援演説中に銃撃され死亡し、8月25日に四十九日を迎えました。警察庁は事件当時の警護について検証結果をまとめました。検証結果では、「安倍元総理の後方への警戒が不十分で、容疑者の接近を許したこと」が最大の問題だと指摘。
奈良県警が作成した「警備計画」については過去のものを『安易にかつ形式的に踏襲したもので計画自体に不備があった』としました。警察庁は今後、当面の間は警護対象者の日常の警護を除く全ての警護計画について警察庁が報告を受け事前に審査することなどの方針を示しました。奈良県警の鬼塚友章本部長も辞職すると明らかにしました。
25日に鬼塚本部長は会見を開き、冒頭謝罪しました。また、鬼塚本部長は「所要の体制を確立し、警備を実施していた最中に発生したものであり、県下の治安責任を有する警察本部長として重大かつ深刻な事態を招いたことに対し責任を痛感している」、「事態の重大さに鑑み、国家公安委員会、及び警察庁長官に対して辞職を願い出ましたところ、本日ご承認を頂いた」と述べました。
また、会見の途中に鬼塚本部長は涙声となり「私自身、個人的に敬愛する安倍元総理がお亡くなりになったとの知らせを受けて、図りしれない衝撃と責任の重さに押しつぶされそうになる毎日でありました」と胸の内を打ち明ける一幕もありました。
以上