49歳誕生日

おはようございます。
本日は4:09起床。
体重65.7kg(目標体重まであと0.8kg)
腕立て50回
スクワット300回
今日はわたしの49歳生誕日(10/18)です
ついに、織田信長公逝去の年になりました
他人や他者目線の映る自分に惑わされるのではなく
自分自身に矢印を向けてやっていこうと思います
何かをするとき
思うとき
「そこに自身の誇りはあるか」
自答しながら進んでいきたいと思います

なぜおじさんは気持ち悪いのか?

SNSを色々と観察して思ったんですけど、人というのは基本的に知識や経験が身についていたとしても、メンタルはある一定の時期から変わらず、ただただ肉体だけ劣化してゆく存在じゃないですか?

シンプルにいえば、人はどう取り繕っても「性根が小学生まま外見だけ老いる」存在だと思うんですよ。

で、おじさんが気持ち悪い瞬間というのは、社会的には成熟して振る舞わなければいけない年齢域にある外見のおじさんから、小学生の性根が垣間見えた瞬間なんです。

これに尽きます。

これが20代なら未だ可愛げが有りますが、小じわがあって白髪にまみれたおじさんが、ふとした瞬間に子供っぽいふるまいをしてしまうと、そのギャップが不快さを呼び起こすのです。

で、昨今のネットというのは多くの知恵者&地位有る者が集う場ですが──

学歴や立場があっても、どうカッコつけてみても、自身がふとした瞬間に見せてしまった幼児性に無自覚な人はやっぱり見ていて気持ち悪いのです。いえね、自覚的ならまだ許容できるんですよ。それはちゃんと行使すれば逆手に取って「芸」に繋がるものでもありますから。

しかし無自覚はよくない。無自覚に幼児性を行使するおじさんはホントにキモくなってしまうのです。そのあたりは自他ともに気をつけた方がいいっすね、マジで。

※追記:

コメント欄にて「おじさんが子供っぽいのも可愛げがあっていいじゃないですか。あなたは心が狭いと言わざるを得ない」と言われたのでモヤッと来たので幼稚にも追記します。

そりゃ幼児性は身内や良く知った間柄ならOKですよね。

そこには互いの甘えを許す合意がとれた関係性ができあがっているので。それはなにかというと愛であり情です。でも、愛や情が成立していない他人に、力任せに合意なくやってはいけません、と言っているんです。

そして、多くの気持ち悪いおじさん(言わなかったけど、コメント欄の指摘のとおりおばさんも含まれる話・・・)は、しばしば合意をすっとばして幼児性を行使してくるので気持ち悪いのだけれど、なかでもそれについて無自覚なのはいただけない、というお話をしているのです。

さらにいうと幼児性というのは「かわいい振る舞い」だけの話じゃないことも申し上げておきたいのです。幼児性というのは「未発達な子供がしがちな無遠慮に他人を踏みにじる行為」がふくまれてる。これは、高圧的な態度、マウント、いじり、その他諸々の「かわいくない子供の行為」もふくまれるんですよ。そういうものに対しても「心広く」あることは、さすがに不可能です。なぜならば大人の「それらの行為」は、幼児のものと違って、心理的、肉体的な破壊を伴う暴力にエスカレートするものでもありますから。

だから「気持ち悪い」と表明しているし「それはいけないよ」と言いたいのです。

というかその「気持ち悪い」という言葉は「痛い」とか「悲しい」とかいった、最終的に暴力につながりかねない前段階の幼稚なアクションに対しての、懸念の表明なんですよね。

まだ「痛く」も「悲しく」もないけど、嫌だし、嫌なものにつながる懸念があるから「気持ち悪い」と表明しているのです。

本当にそれが危険性のない幼児性なら「気持ち悪い」じゃなく「かわいい」と表明するでしょう。

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ほんで、拡散にともなってちらほらヘンテコなコメントが来そうなので、この辺にしたいと思います