サウジアラビアの「国王」が訪日され桁外れの豪奢さで日本を驚かせた
おはようございます。
2017年3月の国王陛下に関する配信記事です。
アラビアのサルマン国王の訪日が注目されています。
アラビア国王としては、実に46年ぶりの日本訪問ということで、それだけで我々はびっくりですが、さらに、日本では考えつかない豪奢な行列や高級ハイヤー数百台貸し切りなど、国民の度肝を抜きました。
同行者は王子や閣僚、企業幹部ら1千人を超えたとのことで、空港はすでにサウジアラビア専用空港の様相を呈しました。
極めつけのサルマン国王の専用機でのご到着時には、専用のエスカレーター式タラップを予め空輸(この空輸する飛行機も貨物機とは思えないほど豪華)しておき、一緒にお出迎えするという念の入りようです。
まさに現代の大名行列です。
大名行列ではないですね、国王行列です。
ついでに重要なことですが、この方に対して、「国王」という表現を当のサウジアラビア側は使いません。
Kingなどと呼ぶと怒られてしまいます。
イスラム盟主のサウジアラビアの「(日本語での)国王」に当たるのは、正確には「二大聖モスクの守護者(Guardian of the Two Holy Mosques)」ということになります。
二大聖モスクとは、一つは、ムスリム最高の聖地である、メッカのマスジド・ハラームのことです。
中には黒いカアバという神殿があって、これを守るためのモスクがマスジド・ハラームで、このモスクには、唯一カアバの方向を示す壁のくぼみがない、ということのようです。
黒い立方体の塊のまわりを、無数の人たちがぐるぐる回っている動画や画像や写真を見たことがある人は多いと思いますが、あれです。
もう一つは、マディーナにある預言者のモスクで、これはイスラム教をひらいた預言者ムハンマドが最初に建てたモスクであり、かつムハンマドの霊廟でもあります。
この2つの聖モスクを頂点にしたイスラム教社会全体の守護者として、サウジアラビアのトップは自らを任じているわけです。
ものすごい責任が「守護者」の双肩にかかっています。
サウジアラビアの建国事情
ところで、サウジアラビアの建国はどういう経緯だったのでしょうか。
初代の国王は、度重なる内紛と内戦(日本でいうところの群雄割拠の戦国時代のようなもの)を押さえて1902年に22歳の若さで帝位についたアブドゥルアズィーズ・サウード国王です。
つまり、日英同盟が締結された年に、改めて建国された比較的若い国とも言えます。
そして、現在のアブドゥルアズィーズ・サルマン国王は、第7代の国王になります。
しかしながら、第2代国王から2017年3月現在の第7代の国王に至るまで、すべて初代のサウード国王の息子であるということに驚きです。
第二世代の国王と言われるのですが、自らの息子が2代から7代まで続くというのは、やはり建国者の威光が非常に影響しているのだと思います。
今のサルマン国王は、初代サウード国王の25番目の息子ということで、こちらの方もびっくりです。
ここまで継承権を持つ子供が多いと、さすがに孫の代までの継承はなかなか進まないのではないかと思います。
初代国王が最も寵愛したスデイリー家出身の女性ハッサ妃との間に生まれた7人の王子は、スデイリー・セブンと呼ばれ、その中でも最も高貴な家系として権威を保持しているようです。
王族もいろいろ大変なんだと思います。
サウジアラビアと言っても、アラビアンナイトくらいしか思いつかない筆者からは以上です。
(平成29年3月16日 木曜日)


