大企業がいかにして大企業病を回避しようとしてきたかの事例を紹介します
おはようございます。
2017年1月の記事です。
日本の尖ったクルマ文化を持ち続けている大手自動車製造業者の本多技研(仮の名前です)ですが、この会社も成功を続けて大企業になる中で、次第に創業からの闊達な議論が少なくなってきたとのことです。
例えば、新しいデザインの車が世に出るまでに経営陣らが多方面から注文をつける合議制の会議(評価会)が延べ10回以上繰り返されてきた割には最初の話に戻ることも多かったそうで、これこそ誰もが気づいている大企業病であると多くの人が気づいていたというのです。
それでデザイナーや開発陣の思いが通らず、角が取れすぎて何を訴えたいのかわからないまま商品化されることが多かった新車開発において、大きなしっぺ返しがありました。
特に、このプロセスに乗り最大公約数的に稟議決裁を通って商品化された2011年4月発売の看板車種のシビックは米消費者専門誌に酷評されたということです。
何の特徴もない車というものでした。
この失敗を受けて2012年4月からは、評価会の回数を大幅に減らし、内装、外装をそれぞれ担当するクリエイティブディレクターに権限を集中させる組織改革に踏み切りました。
世界最大の自動車メーカーとなった豊太自動車でもスポーツカー「ハチロク」で、当時の社長と開発担当者が直接、話し合いながらデザインを決めたといいます。
もう一つの大手自動車メーカーの日本産業がデザイン、マーケティング関係の機構改革を断行したのは1990年代終わりでそれから10余年が過ぎています。
組織構造がだんだんついてくる贅肉のように、マーケティング、商品開発、デザインという本業の邪魔をしていきます。
大企業になるということはそれはそれで良いこと
しかしながら、安定を求めて企業は組織化し、大きくなり、それ自体は経営の安定や新規領域への進出体力を蓄積するという意味でいいことなのです。
株主もそうした安定性や品質を求めます。
膨大な内部手続きも、コンプライアンスの順守やリスク回避や意思決定プロセスの明確化のために、必要とされて導入されたものであり、そうした官僚機構を持てること自体、中小零細企業にとっては羨ましいことでもあるのです。
その上で、こうした大企業化により、そもそもの創業時からの進取の精神が影をひそめることもあるのです。
そうした側面に光を当てると、大企業病だといわれることもあるのです。
したがって、感度の高いマーケティングをしつづけるには組織のあり方を解決し続けなければなりません。
ありもしない最適解を合議制に求める発想は、目黒の秋刀魚の落語の結末の如く、内部資源の膨大な無駄と疲弊を産みそれ自体が冗長なだけのお作法であまり美しくない、と思いきることができれば、もう一度大企業病のその先の組織と個人の在り方に到達できるのかもしれません。
宮仕えの筆者からは以上です。
(平成29年2月1日)


