「社会契約論」という現代社会の人間の権利と国家統治機構原理の根本をたった1人で作り上げた変態的奇人「ルソー」について語ります(2019/09/17)
フランス革命(現代風アレンジでイメージ) |
おはようございます。
2019年9月の筆者個人の歴史的事象に関する趣向に迫る配信記事です。
こうやって毎日ブログを書くのも、自分は自分のログ(履歴)をきっちりつけておきたいという「希望」がありまして、より良い生活を送って人生の究極の目的であるところの、「笑って死ぬ」ことを目指すために気をつけていることであります。
ライフログとは、人間の生活を長期間に渡りなんらかの媒体にデータとして記録していくこと、ということやその記録自体を指す言葉です。
つまり、自分と自分の周りを「歴史」として書き留めておきたい、そのような欲求なのかもしれません。
このライフログという言葉もようやく社会的に認知されるようになりましたが、このブログのような日記形式の雑文なども、広い意味では、というより本質的にはライフログと言えるものだと思います。
実際には別段、筆者ですらこのブログ記事を振り返ることはほとんどないのですが(書いた記事も書いたそばから忘れて行っていますので、書く前に同じようなことで書いたことがあるか「検索」して調べてみるくらいです)、いつ何時、ある分野においては自分の人生で「人生一」冴えたコンテンツをプロデュースできるかわかりませんから、せめてそのような貴重な機会において、できるだけ頭の中からそのような素晴らしい発想やひらめきが「逃げて」しまわないように、可能な限りの手段でそのようなものを書き留めたり記録しておきたいと常々考えているのです。
まあ、大抵は「書くことがない」ことから始まって適当な社会事象や最近巷を賑わせているトレンドに寄った出来事を記事にして、適当にお茶を濁しているわけなのですが、それでも、どこから閃きがやってくるのかわからないので、そのようなタイミングを掴んだらきっちり記録しキャリーできるように構えておくことは、浅学非才な筆者のような者ほど、やっておいて損はないことであろうと思います。
さて、そのような潜在的には無限の可能性を秘めた「個人」が、できるだけ自由にその能力を発揮できる社会であることが望ましいと思うのが人情なのですが、その「個人の自由」とか「人権」といった考え方によって、この人民の「権利」を担保する統治機構として発展した(と思われている)現代の国家観、実は、こういった「思想」自体が、元をたどるとフランス革命という、実証面としては血で血を洗う闘争の果てに、思想面ではジャン・ジャック・ルソーという1人の、文字通り「変態」による著作によって形作られたということはほとんど知られていないでしょう。
世界一の電子百科事典でありますウィキペディアによりますと、2019年9月時点では、ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau、1712年6月28日 - 1778年7月2日)は、フランス語圏ジュネーヴ共和国に生まれ、主にフランスで活躍した哲学者、政治哲学者、作曲家、と記載されていますが、これは要するに趣味で生きた適当な彼の人生を、せめて後世の歴史家たちが適当に潤色した「肩書き」に過ぎず、その実際は単なる「ニート」にすぎません。
放浪生活、ヒモ生活、素行不良といった、人間としては三流四流と言われても仕方のない怠惰な生活と、奇行、悪趣味のオンパレードで、生まれてまもなく母親を亡くすという家庭の不幸もあった同情すべきところもございますが、それでも、全面的に賛成するには程遠い「ろくでもない」人間です。
自らの子供達も、ろくに育てられずに孤児院に次々と送り込むというダメさMax加減です。
控えめに申し上げましても、いっちゃってます。
しかしながら、彼はそんな怠惰な生活の中、思索を深め、ついに一本の本を書き上げます。
これが「社会契約論」という本で、これは、敬虔なキリスト教徒がなぜ資本主義社会での金儲けに「前向きに」邁進することができたかを、キリスト教新教(プロテスタント)の立場から鮮やかに完璧に説明しきったドイツの天才マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という本に比肩する、現代人間社会の根本的な考え方をたった1人で作り上げちゃったという筆者勝手な歴史ランキングで堂々一位に輝く「偉業」なわけです。
そんな同時代人的にはただのニート、ルソーさんが描ききった社会契約論の思想をたった一文で説明することに挑戦してみます。
社会的存在であるところの人間が社会を作って生きていくために必要な原理が「社会契約」であり、社会契約により規定された人民の「一般意志」による市民国家機構を作り上げ、丁寧に運営すべきである。
このような、あまりにも、現代においては「当然」と思われている「人権」だの「国家」といった考え方の根本をほぼたった1人で叩き出した、この偉大な思想家においてさえも、その実際を知る同時代人は、ただの変態ニートであったと言って憚らない、そして当のルソー本人も、この著作がのちの世にこれほどの影響を与えるとは思っていなかったであろう、というところが、歴史を学ぶところの面白さなのです。
ということは、人間が生きて死ぬまでは有限ですが、そこで振る舞った全ての「ライフログ」が後世の世の中に少しは影響していく、そう考えますと、少しは身が引き締まるのではないかと思いまして、紹介させていただきました。
以上、ここに述べたことは全て歴史古典ラジオ「COTEN Radio」に詳しいので、まだ観たこと聞いたことのない方々は、ぜひ一度、10秒でいいのでご視聴ください。
10秒聞いてしまえば、文字通り病みつきになること間違いありません。
歴史会社COTENの1/10社員、無給見習い押しかけバイトの筆者からのコラボ配信記事は以上です。
(2019年9月17日 火曜日)
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