超訳!石田三成
NHK大河ドラマでも悪役筆頭とされている石田三成を擁護し正当に評価する(2016/08/15)
おはようございます。
2016年8月の筆者提供の歴史に関するブログ考察配信記事です。
ビバ!石田三成。
先日より平成28年の大河ドラマ真田丸を視聴しています。
最近ではNHK大河ドラマも、時間帯でTV見たり録画して見るのではなく、NHKオンデマンドというサービスでMACやiPadで「見て」いる筆者ですが、とにかく太閤秀吉が死んで、いよいよ徳川家康の天下取りの野望が噴き出してくるところの回あたりを観たのです。
いよいよ太閤秀吉亡き後の豊臣家の天下を秀頼を始めとして固く守っていこうと人一倍気合を入れる石田治部少(じぶしょう)三成の出番です。
これまで、石田三成はこの大河ドラマに限らず、例えば2年前の平成26年大河「軍師官兵衛」でも、怜悧で頭は切れるが情に薄くて理屈頼みの冷血漢、人望のないまさに君側の奸といった散々な書かれようで、青白いエリート、秀才、陰謀家とのイメージが先行し、結果小人物として無益な騒乱(関ヶ原合戦のこと)を起こした悪の張本人といったイメージを数百年にわたって視聴者に与え続けている感じが致します。
しかし、筆者はそうは思わないのです。
そもそも小物なら歴史に名を残せない
そもそも小物なら歴史に名を残せないはずではないでしょうか?
怜悧なのは他が観たくない現実を見る胆力があったからで、だから秀吉にもっとも重用されたと思うのです。
本当に単なる小人物ならば、例えば取り巻きを重用するといった態度に出ると思いますが、三成を悪くこき下ろした著書の著者ですら、三成の衡平な振る舞いについては文句のつけようがなかったので、誰に対しても公平に接したことをもって、冷たいだの怜悧だの情がないなどと書くくらいしか悪口の書きようがなかったのではないかと思うのです。
これって悪口になっていないのではないかと思うのです。
三成が言われる通りの小人物であれば、わずか19万石の秀吉の旗本大名に過ぎなかった三成だけが、天下を虎視眈々と狙う260万石の大老筆頭格の徳川家康に対して、対等にものを言い、豊臣家の天下を守るために徳川以外の大老、奉行を糾合して一旦は徳川包囲網を完成させんとする西軍の大集結を図れたのでしょうか。
西軍は、みなが皆、小人物三成の小賢しい策謀に引っかかっただけなのでしょうか。
だとすれば西軍は皆小人物三成以下ということになりますが、あの九州の英雄島津義弘すら西軍に参集していることからすれば、そうではないことは明白です。あの衆目一致の大人物、一目置かれた大谷吉継が最後まで行動を共にし、支えたのが石田三成。石田三成をこき下ろす人で大谷吉継を同じく低評価するのを見たことありません。
大老の毛利を総大将に、宇喜多、上杉、そして毛利の分家筋のところ家格が異常に跳ね上がった小早川まで全て西軍に取り込んでいるのです(小早川秀秋は最後の最後で裏切りますが)。
徳川側だって本気
家康の徹底的な多数派工作で、大老の前田は取られ、さらに北政所(秀吉の正妻で秀頼を生んだ淀君とはなんとなくライバル)筋である黒田長政や加藤清正、福島政則といった諸将に奥羽の伊達政宗といったところは徳川の東軍に取られましたが、西軍としては、まだまだ行ける布陣でした。
もちろん徳川の本陣は超絶重厚で、秀忠の別働隊3万5千も駆けつけんとしています。
しかしながら、そんな強大な敵に対して一歩も引かず、そして、誰よりも、なんとなく徳川家の世の中になってもいいやん、しょうがなくね?、という雰囲気に流されつつあった時代の空気に棹(さお)さして、豊臣家の世を続けて秀頼に忠誠を尽くすという原則にこだわった強烈な人だったのではないかと思うのです。
秀吉にかけてもらった恩義に報いるという形で自分の信念やこだわりを貫く。
凡人が見ようとしない真実が見えていたからこそ、一心不乱に働き、それが近寄りがたいイメージを生んだのではないかと思うのです。
「莫迦(バカ)と話していても仕方ない」
といった台詞をよく大河ドラマでも吐いていますが、わかろうとしない人間に話を尽くしても無駄なことは一面の真実です。
時間は有限
時間は限られています。
無用な「期待」をかけるのではなく、「希望的観測」で心慰めるのではなく、あくまで現実路線で行く。
こうした三成の計算や心情もあったのではないかと思うのです。
そんな三成が偲ばれる話は、やはり斬首される際のものです。
家康が三成を見分した際も、「このように戦に敗れることは、古今良くあることで、少しも恥では無い。」とし、行動を起こさなかったこそ恥じるべきだと述べます。
そして、「世の様子を見るに、いま徳川殿を打ち亡ぼさなければ、豊臣家の為に良くないと思い、宇喜多秀家・毛利輝元ら反対するものを説得して軍を起こしたまで。戦いに臨んで、二心あるものに裏切られ、勝つべき戦いに負けたことこそ悔しい」と言い放つのです。
徹底的な自負が感じられます。
飲み屋の愚痴や不満ではなく、実際に世の中を変える動きと働きかけができるのは、おのれをおいて他にない、という徹底的な自信。
綿密な計算と普段からの努力と研鑽、そして何より胆力と覚悟がなければそんな自信は生まれないでしょう。
最後に裏切った小早川秀秋に放った言葉が強烈です。
「私がお前様の二心を知らなかったのは愚かだ。だが約に違い義を棄て、人を欺いて裏切りしたるは武将の恥辱、末代まで語り継がれて笑うべし。」
寄らば大樹の陰、を地で行く小心者の筆者からも心底羨ましいと思った記事は以上です。
(2016年8月15日 月曜日)