挑戦する

やらない後悔よりやって後悔

大切なことです。知っておいてほしいことです。私は隠居人です。現役時代、仕事もプライベートも成功し、有益な人脈(経営者、投資家、業界の重鎮)を得ました。さて、挑戦を叫ぶ人よりはるかに挑戦する人が少ないというのは、とても痛い質問です。私は最も「やらない後悔よりやって後悔」だよ!!と論壇やブログで主張している人間ですが、「そんなことを言うのは、あなたがそれを実践して成功できているからに過ぎない」と言われる事が多いからです。今の若い人は、挑戦しても成功しないと、すぐに、「無駄な努力をしたことを後悔する」と言うんですね。だから、「やらない後悔よりやって後悔」否定派が大量に現れてしまうんですね。実は、その大本は、ほとんどの人が社会の歯車となって、「社会に与えられた夢と理想を追求する使い捨ての駒(兵隊)となる」ような価値観を植え付けられ、競争率の高い、失敗すれば元も無くなるようなものばかりに挑戦しているからです。いわゆる資本主義社会における種の奴隷となって、「自分自身を犠牲にして社会に貢献することが価値あることである」という目標を設定され、それを目指す者を選別し、使い捨てされているからです。結局、生き残った人、成功した人だけが、「やらない後悔よりやって後悔」ということを言うという現状があるからです。今の若い人は、孤独を恐れ、自立心がなく、自分らしさを持てません同質化欲求の強いそういう多くの人は、群れることで自分の身を守ろうとしますが、群れることはすなわち競争に巻き込まれるってことです。そして、社会がばらまく「社会にとって都合の良い価値観」に洗脳され、みんな過当競争の場に放り込まれて、結局、質問のようなことになります。もう、挑戦する前から脱落してしまう人が続出し、「やらない後悔よりやって後悔」否定派となり、それが多数派、弱者層を構成してそれが常識、当たり前となってしまいます。私自身は、そういう人から見ると競争に勝った少数の勝ち組に見えているでしょう。でも、実はそれは大きな間違いで、私は今で言うADHDだったので、そもそも、過当競争の場には参加せず、独自路線を追求してきて成功できているんですね。だから、ここでも、自立心を持ち、自律して、忍び寄る孤独に負けず、自分らしい生き方、自分らしい価値観を持って、「結果ではなくて過程=プロセスを楽しむ」生き方を勧めています。人生の本当の幸せは、「結果にはなくてプロセスにある」そして同時に、「一生懸命に生きるプロセスの積み上げが人生の達成感、納得感、充実感となって人生の円熟につながる」その一生懸命に生きるプロセスを積み上げることが、「やらない後悔よりやって後悔」という意味なんです。人生、全員一人残らず、長い短いはあっても、結局、死にます。だから、今の社会に「結果だけが重要だ」という価値観を植え付けられた人は、不毛な競争に負ければ自分の人生を縮めるだけ縮めて、かつ、なんにも残らない空っぽの人生のまま老いを迎えてしまうのです。挑戦しても何も残らない、空っぽで死ぬことほど不幸なことはありません。だからこそ、私は、自分らしい生き方で、自立心を持って孤独を恐れず独自路線を追求し、挑戦的に生きつつ、結果にこだわらずプロセスを大切にすることができれば、「やらない後悔よりやって後悔」が真の幸福に結びつく、って主張しているのです。これは私の実体験からの主張です。大切なことなので、繰り返しますが・・・このことをほとんどの人が知らず、ただ、挑戦しても無駄だと最初からあきらめて逃げ、ぼーっと生きて歳を取ってしまうのですね。そのうち死にます。私は現在、たとえ癌を宣告されて、残り人生の短さをひしひしと感じていますが、「やらない後悔よりやって後悔」は幸福の絶対キーだとしみじみ感じています。一生懸命に生きた自分を褒められるし、だからこそ「死の覚悟」が簡単にできるのです。それは間違いありません。「やらない後悔よりやって後悔」で生きた人は、老いてからも幸せ感が続きます。でも、今の若い人は、孤独を恐れ、自立心を失い、独自路線を取ることを拒みます。だから、「やらない後悔よりやって後悔」ができない人ばかりになっているのが、現実です。だから、私も草ブログで懸命に訴えてみても、まあ、聞いている人は少ないのだろうな・・・とは薄々思ってます(笑)