成長神話が身を滅ぼす

【成長神話が身を滅ぼす】

「鬱は甘え。気合いが足りない」「成長こそ全て」的な人ほど、じつは病みやすいんだよな。しかも、そういう自意識やプライドの高さに比例して、ひとは反動で深く病んでしまう。病みやすく、死にやすい。最悪。自己成長、あるいは向上意識が強い人って、つまり「じぶんを許す力が弱い」とも言える。許せないから頑張ってる。なので…

頑張れば頑張るほど、「これくらいできて当たり前」「できなきゃゴミ」という不合格ライン、ハードルがどんどん高くなっていく。さいしょは良くても、だんだん厳しくなる。どんどんじぶんを許せなくなる。たまには、そのハードルを取っ払って均して(ならして)、平らにすることも大切なのに。

儲けすぎて、多くを多額を持ちすぎた人も辛い。持ってしまったものを手放せないから安心できない。安心できないということは自由でないということだ。両手いっぱいに抱えていては、自由に跳んだり跳ねたりできない。新しい物も掴むことができないだろう?

現状の「ダメな自分」と「目指してる理想」を比較して病み続ける。「できたことは当たり前」だから、原理的には「ずっと成長しつづけないと、じぶんを許し続けられない」ことになる。そんなのは不可能。どっかで詰む。そして、その不完全な自分を消したくなる。マジで。

だから、持ちすぎるな。うずたかく積み上げすぎるな。人生をならせ。ときどき大掃除。普段から欲望と自意識の、整理整頓や。他者にその欲求、ぶつけるようになっていたらかなり問題。自分のできないことを他人に押し付けない。自分でやる。やれなくてもいちいち落ち込まない。やることは無限にある。諦めないこと。試合終了は自分で決める。

生き残ったものが、勝ちだ。

以上