2025/11/01の日記

月初日。あと2ヶ月で2025年も終わりです。早いですね!一日一日を大切にしたいと思います。さて、先月のPayPay銀行残高に応じた、PayPayポイント金利が付与されました。通常の預金よりも利率がいいので、最近の預金運用は全てこのPayPayポイントでやっています。まさに、ポイントは仮想通貨。相変わらず全く決済に向かないビットコイン(手数料がバカ高い)などに比べても、ブロックチェーンなんていらないから適当に使える日本のポイントは便利だと思います。どんな田舎でもPayPay使えるようになっていますし、これからますますキャッシュレス少額決済は進むでしょう。レッツポイ活。

俺たちの高市早苗首相、ついにラスボスシージンピン氏と相見えました。堂々としたものです。これは、600年の遣隋使でかの聖徳太子が小野妹子(妹子というけど男ね)に持たせた国書以来じゃないでしょうか。まあ、建国たった80年とかいう、中華人民共和国なる人工国家の方々には、こんな話高尚すぎてわからないだろうけど。
推古天皇の命を受け、聖徳太子が遣隋使・小野妹子に託した国書はこう記されていたと伝えられます――
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」。
つつがなきや、と読みます。
この言葉には、日本(倭)が東の独立した「天子の国」であり、中国(隋)と対等であるという強い自負が込められていました。隋の煬帝はこれを傲慢と感じ、激怒したとも伝わりますが、日本の国家意識の芽生えを象徴する文書でした。
卑弥呼、推古天皇、持統天皇、称徳天皇、それから北条政子。日本の長い長い歴史の節目にときに燦然と登場する女王、女君主に女性宰相。持統朝を支えた高市皇子の名を持つ同じ大和奈良出身の、世襲議員ではない者としては田中角栄以来の高市早苗首相。
日本を救う大宰相の器を見せつつあります。
自分も頑張ろう、と思いました。
今日の日記は、以上
追記
中川昭一さんはどんな政策をしたんですか?またなぜ暗殺されたんですか?
麻生内閣で財務大臣・兼・内閣府特命担当大臣だった中川昭一 氏が失脚する原因となった有名な「酩酊記者会見」です。
この会見直前に中川氏は昼食をとっています。その場には2名の読売新聞記者、財務省国際局長の玉木林太郎、2名の財務官僚、通訳、そして中川の知人の7名がいたようです。そして6人でワインを一本空け、中川氏もグラス一杯ほど飲んだそうです。しかし大酒飲みで知られる中川氏がグラス一杯のワインで酩酊状態になるなど通常考えられません。
どうやら同席していた読売新聞・経済部の越前屋知子さんという方が、会見直前「会見は面白いことになるわよ」と言っていたようです。会見後アメリカに渡り、現在もアメリカにいるという事で、彼女が中川氏に睡眠薬のようなものを盛ったと噂されています。
冒頭にも書いたように、この会見によって失脚した中川昭一さんは、その翌年自宅二階の寝室で死亡が確認されたのですが、その死亡原因が循環器系の持病の可能性が指摘されたものの、特定には至っておらず、そのため暗殺されたと言われているのです。
それでは中川昭一氏が何をしたのか、リーマンショック直後の2008年10月10日、ワシントンで開かれたG7財務相・中銀会議で、日本は「もっと米国債を買え」と迫られていました。そんな状況で、中川昭一はポールソン米財務長官に対し、「金融危機を甘くみないで欲しい。今回、日本は米国を助けない。米国は今回の危機に対して、自国で処理する事を期待する」と発言したのです。
また2008年10月10日米国財務省でのG7財務相・中央銀行総裁会議においてこう言ったのです。「日本は黙ったまま、世界のキャッシュ・ディスペンサーになるつもりはない」さらに、翌11日の委員会で「日本は、自国の外貨準備(米国債)を使って、IMFに、1000億ドル融資する用意がある」と言ったのです。
「円」じゃなくて、外貨準備の米国債で、IMFに資金提供しますと、ちなみに、この外貨準備を使った融資は「中川構想」と言われました。この「中川構想」が虎の尾を踏んだと言われているのです。そして先ほどの「酩酊記者会見」の前日、中川昭一の署名によって、「中川構想」が実現し、IMFへ最大1000億ドルの融資がなされたのです。
これまでも「米国債」を売ろうとした政治家はことごとく消されています。中川昭一氏も例外ではなかったという事です。
中川昭一氏が亡くなったのが56歳ですが、実は昭一氏の父親である中川一郎氏も57歳で亡くなっているのです。一応自殺とされていますが、これもまた非常に不審な死であったようです。
実は、中川一郎は旧ソ連とつながっていて、陰ではソ連のスパイとも言われていました。
日本が、サハリンの資源開発に関わるようになった1973年。首相だった田中角栄がソ連を訪問した際、シベリア資源開発の話が出たのがきっかけだったのです。サハリン1
実は、このサハリン開発に絡んでいたのが、当時、科学技術庁長官だった中川一郎氏だったのです。中川一郎は、他国に依存しない、自立した日本の自主独立を目指していたのです。だからこそ、ソ連との長期的友好関係を結ぶべきと考えていたのです。
つまり、中川親子は対米従属ではなく、本当の意味での主権国家、真の独立国としての日本を目指していたのだと思います。そしてそれが「虎の尾」を踏む事になり、暗殺されてしまったという事ではないでしょうか。

