会社が成長するとき起こること

企業の成長はこのような図では測れない

会社を大きくしていくと、いつも同じ場面に出くわす。静かに、そして着実に。そういうのを、多く見てきました。

それは資金繰りでも、採用でも、プロダクトでもない。そういう話なら、まだ分かりやすい。数字で語れるし、改善策も見えやすい。

もっと厄介なのは、誰も声に出さないところで、少しずつ変質していく空気のほう。

むかし、自分がつくった、というか株券作って株主の会社に配って作った会社のことを、ふと思い出す。

創業メンバーとは距離が近かった。物理的に隣に座っていた、という意味ではなく気配が近かった。というか、創業メンバー自体だったとも言える。数字が上がったときの高揚も、失注したときの胃の痛みも、誰かが夜遅くまで返信を返さないときの不安も、同じ温度で共有していた。

意思決定は雑だった。プロセスも荒かった。でも、「同じ船に乗っている」という感覚だけは妙に確かだった。夜中のコンビニの前で、どうでもいい話をしながら、「まあ、明日もやるしかないよね」と笑えた。あの連帯感は、仲間というより運命共同体に近かった気がする。

創業メンバーは単なる社員じゃなかった。役割以上のものを背負っていたし、会社そのものの物語の一部だった。

でも、会社は伸びる。上場とかする。

人が増える。部署が分かれ、階層ができ、役割が細かくなる。社長は現場から離れざるを得なくなる。冷たくなったわけじゃない。ただ、そこに居続けると会社が回らなくなるだけ。親会社やグループとの連携も強くなる。

創業期の社長は、火を見つけては走り、火を消し、また別の火を起こす。スケール期の社長は、火が燃え続けるように設計をする。目の前の炎より、全体の構造を見る時間が増える。会議が増え、外部とのやり取りが増え、現場にいない時間が増える。

理屈としては正しい。

でも、創業メンバーの身体は、その変化についてこない。

「昔みたいに話せなくなったな」

「社長が遠くなった気がする」

その感覚は間違いじゃない。実際、距離は遠くなっている。ただ、それをそのまま口に出すのは難しい。寂しい、と言えば幼く見える気がする。もっと話したい、と言えば依存的に見える気がする。功労者である創業メンバーや役員が、そんなことを社長に言っていいのかさえ分からなくなる。

だから感情は別の形になる。

「最近、意思決定が遅い」

「現場を分かっていない」

「昔の熱がなくなった」

言葉は仕事の話をしている。でも、その奥にあるのは、関係性が変わってしまったことへの戸惑い。以前なら社長を批判している社員に対して厳しく叱っていた役員が、遠回しに社長を批判するようになる。

そこに、さらに別の感情が重なる。

あとから入ってくる人たちが、やけに優秀に見える。

会社が大きくなり、資金が入り、ブランドができると、創業期には雇えなかった人たちが入ってくる。過去に勝った経験を持つ人たち。専門性を持った人たち。

気づくと、自分が評価されていた筋肉が、あまり評価されなくなっている。代わりに、自分が持っていない言語や技術が評価されている。しかも、それを持った人は、後からやってきた。

同じ場所にいるのに、競技が変わったような感覚。

役割が小さく見える。自信が削られる。プライドが、少しずつこじれていく。

これは能力の問題というより、アイデンティティの問題。「自分は何者だったのか」という問いが、急に不安定になる。

強い人は、その痛みを直視する。

弱い人は、痛みを怒りに変える。

「最近の会社はおかしい」

「昔はもっと良かった」

そう言いながら、本当は、自分の居場所が崩れていく感覚を必死に止血している。

外から見ると、分かりにくい。

表面上は順応しているように見える。協力的で、いい人に見える。

でも一人で飲んでいる夜、社長と新メンバーのやりとりを眺めているときに孤独が来る。

昔なら社長に直接言えたことを、今は誰に言えばいいのか分からない。会議で発言しても、言葉の通貨が合わない。正しいことを言われているのに、その正しさが、自分を少しずつ削っていく。

やがて、参加が減る。

提案が減る。

反応が遅れる。

外から見ると「パフォーマンスが落ちた人」になる。

本人は、怠けたつもりはない。ただ、居場所が消えただけ。

そして、ある日、創業メンバーが辞める。

理由は、いつも合理的。

「新しい挑戦」「キャリアアップ」「家庭の事情」

でも深いところには、こんな感覚が残っていることが多い。

「もう、ここは自分の場所じゃない」

「この会社は、いつの間にか、別のものになった」

創業メンバーが抜けると、会社は数字以上のものを失う。

何を大事にしてきたか。ルールがないときにどう動くか。危機のときにどう踏ん張るか。そういう知が静かに抜け落ちる。

制度は残る。でも、制度だけの組織は、脆い。

会社をスケールさせるというのは、こうした心の変化を抱え続けることなのかもしれない。

変化には、必ず喪失がついてくる。

喪失は、放っておくと誤解になる。

誤解は、やがて怒りになり、分断になる。

私は、こういう経験をする人たちが、メインストリームから外れたと感じたときにこそ、こっそりと一緒に話す機会を得て、会社が大きくなるまえに、大きくなったらどんな問題が起きるかを言語化してつたえておくことの重要性を伝えてきた。

そのときに、どう捉え、どう解釈するか。そこをみんなが間違えないように。

スケールの前に、マインドセットを厚くしておくという表現がしっくりくる。

痛みを消すことはできない。でも、その痛みを「壊れる理由」ではなく「変わる合図」として受け取れるかどうかで、未来は大きく変わる。

スケールしてから慌てて手当てをしようとしても、もう遅いことが多い。心が一度「引っ越し準備」を始めてしまった人に、あとからいくら言葉をかけても届かない。表面は柔らかいままでも、内側はもう退職している。そういう状態をたくさん見てきた。どんないい会社でも去る人は出る。というか、自分自身が去ろうと準備している。創業者にとっては、それがものすごい裏切りに見えるかもしれないが。

スケールさせる前に、スケールしたら人の感情がどうなるかを知っていなければいけない。自分も含めて。

優秀な人が入る、というのは、会社が強くなるということでもあるが、同時に、今いる人の価値が相対化されるということでもある。相対化は悪いことじゃない。むしろ健全。ただ、その健全さが、人の心にはときどき毒として作用する。

それに多くの経営者や経営陣が気づかない。でも、経験を経た自分は文化の血管が切れる前の、あの妙な感覚を知っている。

組織づくりは、人間理解。

人間理解が浅い人に、強い組織はつくれないと思う。

とともに、マネージャー、経営陣、あるいは経営者がもつべきマインドセットについて最近よく話す。

興味がある経営者がいたら、学びになると思うので筆者との話をしに来てみてください^^

いろいろ話すことでお互い少し整うと思います。

以上