追悼 福岡大学阿比留教授

福岡大学の阿比留教授がなくなりました。普通、大学の教授の葬儀と言えば、ほとんどが大学関係者の列席が多いのですが、この故阿比留教授のお葬式は、経済人も多く、教え子たちも多く、またお供えされた供花の数がゆうに100を超えるという華々しいものでした。でもこの阿比留教授ご自身は、全く飾りっ気のない、素のままが素晴らしい教育者でした。つまり、素敵な人格をお持ちでした。以前から教え子さんたちを通してお名前やお顔は拝見していたのですが、2年前の対馬旅行にご参加いただいた時にじっくりとお話しさせていただいたご縁がありました。阿比留という姓は対馬に多く、「あなご亭」という対馬名物のアナゴが特に美味しいと評判お店ですが、行きたいと思っていた日がちょうど定休日でした。しかしそこが阿比留先生と親戚だということで、特別にお店をお昼だけ開けていただき、おいしいあなご重を食させていただきましたとのこと。対馬出身の阿比留先生がわざわざ私たちのツアーにご参加いただいたのも、ふるさと対馬をもっとよく知ってほしいとの願いからでした。そして対馬の行く末をとても憂いておられたのです。この旅行の時に知り合いになった対馬の武末会長が先日行われた高レベル放射性廃棄物の処分場を巡る文献調査を受け入れるかどうかの市民との対話集会に繋がりました。また、以前からこの対馬に高レベル放射性廃棄物の処分場をと話していた平田さんもお亡くなりましたが、いろんなご縁が私を対馬に導いていただいています。何かをしようとするときに、今までのご縁を大切にしていると時空を超えていろんな人から応援してもらえます。でも、不義理ばかりしていると気づいてみると周りに誰も人がいなくなっていますね。前期高齢者になると、とは言っても今日の筋トレでベンチプレスで60キロをあげることができました、先輩方がちらほらと鬼籍に入られることが多いのですが、それまでいただいたご縁を大切にせねばならないとつくづく思ってきたところでした。今日の阿比留先生の葬儀に列席したのも、台風が近づいているので、もしかして会葬者が少なかったら、阿比留先生の笑顔が台無しだと思ってどんなに嵐でも私は絶対参加すると決めていました。すると雨もさほどひどくなく、大勢の経済人、教え子、プロジェクトに関連の人などが列席されていました。これが俗にいう「人の価値は棺桶の蓋を閉めるときに定まる」ということだということを実感しました。享年、70歳。63歳の時に大病をされていたのですが、旅行の時にそんな事をおくびにも出さずに笑顔で談笑されていました。お孫さんも二人おられましたが、まだまだママのそばを離れないくらいの小さい子でした。もう少し長生きされていたら、私のように孫と一緒に遊べただろうと思うとちょっと残念でした。葬式の最後の喪主のご挨拶の時、奥様が阿比留先生が昨年の9月の大手術の前に書かれたお手紙を代読されました。きっと大手術の前に覚悟を決められていたのでしょう。その文面は一点の曇りもなく、晴れ晴れとした心境がつづられていました。私もこの世を去るときにこうありたいと思った次第です。若者をはぐくみ育てられてきた教師人生であり、多くの教え子に多大な影響を与えてこられたのです。これほど素晴らしい人生はないですよね。素晴らしい人生とは、お金持ちになることでもなく、贅沢をすることでもなく、見栄を張らず、自分のあるがまま生きて、多くの素晴らしい人に囲まれて、惜しまれながらこの世をからからと笑いながら去っていくことだと思っておりましたが、阿比留先生はその通りの人生を送られた私の模範となる生き方をされた人でした。ご冥福をお祈りします。というよりも私が祈らなくても大勢の人々の願いが魂を天国に押し上げているものだと思います。