勝負こそ人生の全て
勝負が…人生の全て…!
私は、非常に偏った人間です。
人生のわりと小さい頃からかかる自覚がありました。さらに読む本や節目で出会う人たちに影響を受け、そして自らと対話して、こんな境地に至りたいと思っています。
勝負こそ、人生の全て。
20年以上前に連載終了した古い漫画「天」。麻雀ができなくたっていい、ぼけたっていいじゃないか。女や酒、友人、家族とか、いろいろ…。人生にはあるじゃないか。そう言って思いとどまらせようとする雀士・曽我に対して、自ら死にゆくことを決めた赤木しげるが言った言葉です。赤木は「勝負が人生の全て」と言い、
「そんなものは、全部休憩だ…。
勝負と勝負の間の息継ぎに過ぎないっ……!」
と言い放つのです。
曽我は「メチャクチャ偏った考えやそれは…!」と驚きを返すのですが、赤木は全く揺れずに「その通り…!」と返します。
この後の言葉がまた重い。
「俺は偏っているっ…!俺は…
唯一…
それを誇りにここまで生きてきた…!」
赤木しげる、この麻雀の神に愛された男、彼の振り切った生き様を見事に表しています。
人間は好きなものとか「生きがい」と感じるものを持っていることが多いと思いますが、それ以外にも楽しかったり大事に思っていたりすることがたくさんあるもの。
例えば「野菜づくりが生きがい」と言っているような人も、仲間と飲むことが楽しかったり、家族と触れあう時間が大切だったり、いろいろあったりするわけです。
ところが赤木しげるには、自分には「勝負」しかない、と強く言い切り、その言葉のとおり勝負できなくなった自分自身を惜しみなく捨てようとしているんです。
途方もない偏り。異端の極みです。特異の極北に、彼はいます。物理的に勝負できなくなった赤木に赤木自身が引導を渡す。介錯する。この夜はそんな夜、生前葬の通夜なのです。
もしも近くにそんな人がいたら、とても危なっかしくて付き合えないような存在かもしれません。しかし、なぜか筆者は赤木のこの言葉に、この生き様に深く心を揺さぶられました。何かにつけここに戻り、読み返して泣いています。
それはなぜかというと、「生きがい」である自身のこだわりただ一点に殉じるその生きざまに、純度の高い生の輝き、生命の光、そして大きな影と闇を感じて憧れと畏れを抱くからです。お前はそこまでできんのか?と常に問われる。毎回弛まなかったかブレなかったかという自身の心の奥底を試される言葉だからなのでしょう。
自分が心から望むことを知り、そのただ一点に全てを注ぎ、人生を生き切る。失敗も成功も栄光まで挫折も、特にままならぬこと、悔しいこと、しかし、それこそが人生の味。黄泉の国に持ってく、何よりの手土産。その覚悟を持って、自ら自死して自らを解放し、拡散させるという決断。
果たして自分はどうだろうか?という問いを投げかけられ、わたしは言葉を失いました。わたしには、あまりにも多すぎるんです。大切だと思うこと、やりたいと思うこと、面白いと思うこと。自分にとっての生きがいって何だろうかと考えた時、思い浮かぶ事柄があまりにも多く、そしてどれもが薄ぼんやりとして曖昧な輪郭しか持っていないことに気付きました。
「薄すぎるその生……!」
「100羽の兎を追うような愚行……!」
というような赤木しげるの声が聞こえてきそうです。
自分の軸は何なのか。
自分が生きる喜びを感じる事は何なのか。
その自分に誇りは持てるのか?
そんな問いかけがこの言葉に込められているからこそ、筆者の胸には深く刺さったんだと思います。
勝負が…人生の全て…!
そう思えるような何かを、自分自身を深く掘り下げて見付けることこそが生きることなのではと、考えさせられる一言でした。この言葉に出会い、わたしは少し変わったと思います。純度が増したというか、より少しだけ。シンプルになったと思います。
挑戦、感謝、希望。この筆者の掲げる三原則、モットーが固まったのも、この赤木しけるが死をもって示した勝負、挑戦への振り切り、憧憬から来ていることは間違いありません。
勝負こそ、人生の全て。
以上