自分の言ったこと
確執と呉越同舟、そして対決
安倍さんと石破さん。若い頃には互いを認め合っていた2人だが、距離ができ始めたのは、第1次安倍政権下、2007年の参議院選挙で自民党が大敗し、安倍が続投の方針を表明した時だといいます。

石破は、党の総務会で「選挙に負けたにも関わらず、続投するのは理屈が通らない」と公然と安倍の辞任を求めた。
「『続投するならそれなりの説明が必要でしょう』と。安倍さんにとっては、最も言われたくないことだったと思うな。だからその時から、感情的には『こいつは許せない』っていうのが、ずっとあったと思うんだよね」
その後、野党時代の2012年の総裁選挙で、安倍と石破はそろって名乗りをあげた。

5人で争った選挙は2人の決選投票となり、1回目の投票では1位となった石破を、安倍が逆転で勝利した。
2度目の総裁となった安倍は、石破を党の要の幹事長に起用したが、この人事について石破は、安倍の本意ではなかったと推察する。

「心ならずも不愉快だが、私を幹事長にしたんでしょう。それで政権奪還をした。本当はそこで変えたかったはずです、私を。ただ、選挙で勝った幹事長を変えられないから、2年やることになったんだけどね」
決定的な対立となったのは、2014年の内閣改造だ。

翌年の国会で、集団的自衛権の限定的な行使を可能にするための安全保障法制の整備を目指していた安倍は、石破に担当大臣の就任を要請。
しかし、憲法と集団的自衛権の関係をめぐり、方向性が違うと考えていた。
「総理執務室で安倍さんと私と1対1だった。『大臣を受けろ』『受けない』という押し問答があってね。『閣内不一致になるから担当大臣は受けられません』って言ったら、安倍さんの激怒が頂点に達するわけね。『そんなんだったら、あなたが総理になったらやればいい』と。捨てゼリフだったね」
石破は結局、地方創生担当大臣に就任するが、2016年に閣外に去り、「ポスト安倍」を目指す活動を進める。
そして、2018年の総裁選挙で、安倍と一騎打ちで争った末、敗れた。
そして2024年、石破は総理に就任する。そして、いきなり迎えた総選挙で、大敗。衆院与党過半数割れ。かつて、自身が、党の総務会で「選挙に負けたにも関わらず、続投するのは理屈が通らない」と公然と総理の辞任を求めたことを、お忘れではないでしょう。
以上

