日本一のいじめられっ子

ご存知太宰府天満宮

 平安の都、京の空は高く澄んでいたが、少年の心は晴れなかった。名は菅原道真。学問に秀で、詩を作れば人々は息をのんだ。しかし、その才はやがて嫉妬を呼ぶ。貴族の子らは彼を取り囲み、陰で「学者風情」と嘲った。とりわけ鋭い目を向けたのが、名門の若き公達、藤原時平である。

 時平は生まれながらに栄達の道を約束された身であった。家の力がそのまま自らの力だと信じて疑わない。対して道真は、家柄では劣るが、己の学で道を切り開いた。朝廷での議論の場、詩会、儀式の準備、あらゆるところで道真の名は高まり、帝の信も厚くなっていく。時平の胸に、言葉にならぬ焦りが募った。藤原の家に生まれなければ左大臣右大臣にはなれない。その歴史上のしきたりを破って、なんらの後ろ盾もない道真が右大臣に昇る。左大臣時平の焦りは頂点に達した。

 やがて讒言が走る。「道真は帝を惑わし、位を狙っている」。根も葉もない噂は、巧みに織られた糸のように広がり、宮中の空気を変えた。時平は直接手を下したわけではない。ただ、噂を止めなかった。むしろ静かに後押しした。いじめとは、必ずしも拳ではなく、沈黙と視線で成り立つ。いじめられっ子といじめっ子。日本史上随一のいじめ事件である。

 ついに勅が下る。道真は左遷され、遠く九州の地へ。都を去る朝、彼は梅の木を見上げ、「東風ふかば」と詠んだ。梅は黙して揺れ、主人を見送った。都の人々は口をつぐみ、時平は勝者の側に立った。だがその胸に、勝利の甘さはなかった。

 九州の太宰府。道真は役所の片隅で書を読み、子らに学を授けた。夜ごと都を思い、無念を胸に詩をしたためる。やがて病に伏し、そのまま世を去った。訃報が京に届いた日、空が急に掻き曇ったという。

 それからである。落雷が宮中を襲い、疫病が広がり、若き皇子が相次いで亡くなった。人々はささやく。「道真公の祟りだ」。名は怨霊となり、都の夜を震わせた。時平は眠れぬ夜を重ねた。雷鳴のたび、あの少年の静かな目を思い出す。詩を詠みながら、誰よりもまっすぐだった眼差し。

 ある夜、夢を見た。荒ぶる雷の中、道真が立っている。怒りではない。深い悲しみの顔で、ただ問いかける。「なぜ、止めなかったのか」。時平は答えられない。目が覚めても、問いは胸に残った。

 やがて朝廷は決断する。道真の官位を回復し、名誉を戻す。さらに、怨霊を鎮めるため社を建てることが議された。都の者は恐れから動いた。だが時平の胸には、恐れだけではない別の感情が芽生えていた。遅すぎる悔恨である。

 時平は密かに太宰府の地を思う。潮の香る空の下、かつての左遷地に立つ。荒れた墓前に手を合わせ、初めて言葉を口にする。「才を恐れた。自分の影が薄くなるのが怖かった」。風が吹き、梅の香がかすかに漂った。

 その後、墓の上の社は整えられ、やがて太宰府天満宮と呼ばれるようになる。神社としては異例の祟り神の封じ込め装置。代々道真さんの子孫が社を守る。学問の神として道真は祀られ、受験の折には多くの者が祈りを捧げる。皮肉なことに、その礎を築いたのは、かつて彼を追い落とした側の人々であった。

 時平は長くは生きなかったという。だが晩年、雷の音に怯えながらも、社の造営が進む報を聞くたび、わずかな安堵を覚えたと伝わる。いじめっ子は、ようやく自らの卑小さを知った。いじめられっ子は、死してなお人々の学びを照らす光となった。天神さまと呼ばれ、全国一万社を従える天満宮となる。京都の都にも北野天満宮として凱旋する。

 都の梅は今も咲く。風が吹けば、遠い太宰府の空とつながる。才を妬み、孤立させ、沈黙で追い詰めた物語は、やがて祈りの場所へと姿を変えた。人の弱さが生んだ悲劇は、長い歳月ののち、学問を尊ぶ社として結実する。雷鳴の奥で、二人の名は静かに並び立っている。

藤原時平さんの名前を知らない人が多いので。書きました。いじめられっ子の皆さん、歴史に名を残すところチャンスです。いじめっ子の皆さん、後世に笑われないように、つまらない振る舞いは即、やめましょう。いじめを傍観してしているそこのあなた、あなたも同罪ですよ。

以上