平成28年NHK大河ドラマ「真田丸」を好きなのに任せて勝手に論考するという記事です

おはようございます。

2016年11月の日本の戦国時代を語る配信記事です。

今日は2016年夏の映画「シン・ゴジラ」の名セリフ「君らも好きにしろ」に従い、好きに書きますので長くなると思いますがご容赦ください。

平成28年のNHK大河ドラマ「真田丸」もいよいよクライマックスを迎えております。

最新の調査結果もふんだんに盛り込まれ、非常に練られた脚本で筆者などは感心しきりでございますが、やはり果敢に散った武将というのは古今東西、判官贔屓(はんがんびいき)と呼ばれて支持が絶えません。

無論、筆者も大好きです。

もともと判官贔屓の判官とは、源平合戦で大活躍の源氏の総司令官、御大将であったのに元締の棟梁である源頼朝に疎まれて誅殺された源義経が「九郎判官」といわれたところからきています。

平家討伐に最大の功績を挙げた義経は、京でも大人気になったのですが、それゆえに、源氏の棟梁である兄の性格暗く猜疑心の強い頼朝に憎まれてしまうのです。

奥州平泉に逃げた義経は、奥州100年の栄華を誇った藤原秀衡に助けられましたが、秀衡の死後、秀衡の子である泰衡に襲われて自ら命を絶ちました。

さて真田信繁とは反対に天下を取って国家260年の安定をもたらした徳川家康は、どうしても悪役になってしまいます。

三河三重名古屋あたりの視聴率が伸びていないようですが、それも当然の事かと思います。

筆者も、昭和の昔の子供の頃に、初代ファミリーコンピューターで「真田十勇士」という戦国RPGゲームをプレイしまして、苦難の末十勇士をつれて悪魔の城三河に乗り込み、ラスボス家康を見事誅殺、「いえやす、かくごーっ(当時のゲームは平仮名)」というエンディングを迎えたという経験を持っておりますので、

当然に家康は嫌いです。

小学校の時の社会の自由研究ノートで、関ヶ原の西軍東軍の配置図から書き取り、東軍メガネを排した石田三成の有能ぶりや宇喜多秀家の奮戦、島津義弘の敵中突破退却などを死んだ爺さんに聞かされて作るなどしておりました。

そんな筆者も日光東照宮に行った時には人並みに感嘆しておりましたが。。

さて、これまでの大河ドラマで主役の舞台となることの多かった東北地方ですが、今回派遣いたしますのは悩み多き上杉景勝と、家康全力クリンチの伊達政宗という役どころです。

上杉景勝は、真田信繁との縁もあり、関ヶ原では西軍に呼応し徳川と一戦交える根性を見せますが、破れて大幅減封をくらって失意の中大坂の陣にもやってきます。

片や伊達政宗は、特に悩みもなく、徳川につくというそれはそれで一本筋が通った態度です。

ちょっと徳川へのごますりが過ぎるんじゃないか、というくらいですが、徳川の警戒を解いて改易を免れるには仕方ない「演技」だったのかもしれません。

しかし、レーザー光線の中を颯爽と若き渡辺謙扮する独眼竜政宗が奥州の虎として天下に号令しようと奮戦したことを知っている昭和の私どものような世代には、こちらもちょっと軽い扱いで若干の不満が残ります。

仙台や米沢での視聴率もあまり高くはないのではないでしょうか。

徳川ヨイショ組としては、加賀百万石の前田家や、筑前五十二万石の黒田家などもありまして、特に黒田家などは自ら九州を切り取って西軍東軍そして九州勢力まとめて列島三国志状態を現出しようとした藩祖黒田官兵衛を中二階に追いやったか、その息子の初代長政も含めて全くといっていいほど出てきません。

なんと、黒田藩を脱藩して西軍に組した後藤又兵衛が大坂方の偏屈面白キャラとして登場です。

まあ2年前に軍師官兵衛で散々やっているので、その印象が強過ぎるので出演させると逆効果と判断されたのかもしれません。

逆効果といえば、物語の序盤、あっという間に本能寺の変が起こり、たった1回の出演で明智光秀に殺されてしまう信長公ですが、こちら、2年前の軍師官兵衛の主役官兵衛を丸ごと食っていた江口洋介扮する織田信長の印象が強烈すぎ、「信長公が違う」と我が家では大騒ぎになったことも記憶に新しいところです。

光秀を足蹴にしただけで退場してしまった今回の信長公、あまりに可哀想です。

上田には3度ほど訪れたことがあります。うち2回は上田城もしっかり見物しました。

アニメの「サマーウォーズ」も大好きです。

真田十勇士が大好きな上田の人たちの気持ちが伝わる栞を買って帰りました。

さて大河ドラマ「真田丸」に戻りますが、いよいよ最新の研究成果を踏まえた大阪冬の陣での真田丸の活躍と夏の陣での最後の突撃が描かれ、真田幸村の討ち死にで全50話が完結するのでしょう。

「真田日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)、いにしえより物語にもこれなき由」

と敵方が記録した活躍を楽しみにしたいと思います。

私は好きにした、君らも好きにしろ

歴史おたくのつぶやきは以上です。

(平成28年11月12日 土曜日)

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