多動性障害の筆者の自己分析

自閉症、多動性障害、学習障害
筆者は昔からそう思っていましたが多動性障害(ADHD)です。そういう認識を持っています。集中できないときもありますが、逆に集中しすぎて他の(求められている)ことに注意が全く向かないという性癖があります。それゆえに、衝動的な行動を取ることも多いようです。集中することと、世間から好ましいと思われることが一致すると、それはそれで文句を言われないので、そのまま自分のやりたいことに全集中できますが、なかなかそれが一致することはないので、生きていくのに少々苦労しました。
また、集中することが偏っているので、自閉症スペクトラム(ASD)の傾向もあるようです。というか真っ黒だそうです。社会性、対人間性に障害を抱えており、コミュニケーションも取ることができません。自分のやりたいことへのこだわりが強いため、他者がどう考えているかに寄り添うことができず、もっと悪く言えば場の空気など読まずにそのまま思ったことを発言してしまいます。悪気などありません。他人をとやかく言うほど暇じゃないんで。自分のやりたいことに忙しいのです。
この前も、別段互いに嫌いではないであろう、仕事仲間の女性アドバイザーの人と話していたのですが(チャットで)、あなたは頑張っている、身長もないし、顔は平べったいけど引き続きその路線でやったらいいよね、みたいなコメントを出してしまったので積み上げた信頼貯蓄残高が一気に引き出されてしまいました。筆者から言えば、平たい顔族、と言われるテルマエ・ロマエという漫画(映画化もされた)で使用される日本人の鉄板フレーズであり、背が高い低いというのも究極は相対的なものであるので、特段どうということもないのですが、こうした言動を相手の何の予測もなくやってしまうところが、自閉症スペクトラムのなせる業なのかもしれません。
しかしながら、筆者は、最後の右下の、躁鬱病に起因する学習障害には当たらなかったようです。勉強は好きですし、読む書く計算は、不都合で反応の予測のつかない(特に筆者は男であり女というものがどのように反応するか未だにわからない)人間を相手にするよりよほど心静かに取り組むことができます。
先に言及した、女性アドバイザー兼コンサルタントによりますと、鬱とか躁鬱は二次弊害なんだそうです。障害があることにより世間一般から外れてしまい、傷ついた結果、そうなるという意味において、二次的な弊害として現れるものであるから、筆者はたまたま、世間一般から外れてるけど、傷ついてない!人それぞれだろ、って思ってる!という一点において、この障害には幸い縁がなかったのかもしれません。

ざんねんな偉人たち
ざんねんな動物シリーズは知っていましたが、ざんねんな人間シリーズは見たことありませんでした。ざんねんな偉人たち、この愛すべき人たちは、全て普通の人間としては終わっていますが、それゆえに、何よりも愛すべき人間コンテンツとして、人類史に不朽の名声、ではない爪痕を残したのではないかと思います。
筆者ももう少しだそうです。もう少し、がどのくらいなのか気になるところですが引続き頑張りたいと思います。
まだまだ、突き抜け方が足りない激励、と捉えておきます。
おわり

