おはようございます。
2019年2月のスマホでブログを書くという、配信記事です。
最近は、移動中の隙間時間を使ってこのブログを書くことが多くなりました。
PCをセットして、その前に座り、ガリガリ書くのが好きなのですが、なかなかそのような贅沢な時間は取れません。
平日より、むしろ休日の方が、そういった意味ではまとまった時間が取れないことが多いです。
いつの間にか、予定が多くなりすぎていて、それをこなすだけで精一杯になってしまうのです。
人は、人の時間をどうしても拘束しようとします。
そこを、出来るだけ他人を尊重しながら自分でできることを増やす、というのが教育とか修練の大切な要素だと思います。
禅宗曹洞宗の開祖道元禅師は、生活全てが修行であると説き、座禅や諷経(ふぎん、お経を読むこと)と同様に、作務という、あの作務衣を着て行う労働作業や食事の準備、たくあん漬けを作ることから掃除洗濯洗面に至るまで、全て等しく大切な修行だと言っております。
食事をいただくに当たっては、それをいただくに足りる振る舞いをしてきたか、これからもそうできるか、自らに問うて食せというのです。
自分でできることを増やすということは、人やお金にしてもらう、してもらわなければならないことが減る、ということでもあります。
お金というものは、人に何かをしてもらえることに対して支払うもの、であり、大変尊く便利なものでありますが、いつまでたっても人にしてもらわなければ自分の次の一歩も踏み出せない人間のままではいけないと思います。
要すれば、我慢ができるということです。
いざこざやうまくいかないことがあり、感情が高ぶってきた時に、自分を高みから眺め、そうして客観的にどのあたりに来ているのか、ということがわかるようになれば、立派な修行、修練を積んだと言えるのかもしれません。
ただ感情のままに喚く、ののしる、怒鳴る、だけでは豊かにはなりません。
完全に静寂の、鏡のような水面の如く、全く感情のブレがないという境地に達し、悟るところまでに達しなくても、ざわつく自らの心情を後ろから客観的に見ることができれば、外形的には忙殺されていようとも、かなり豊かで静謐な生活を送ることができるような気がします。
ということを、自戒を込めまして、移動するバスの中でブログ用スマホアプリを用いて書きました。
一度PCで校正することが必要ですが、これらの優れたスマホやアプリの機能を使った方法により、筆者の、ブログ記事書く時間もない!という心のざわつきはうまく消化することができました。
今後もこうした親指執筆の機会を増やして参りたいと思いますのでよろしくお付き合いください。
こちらからは以上です。
(2019年2月17日 日曜日)