他人をほめるときは大きな声で、悪口をいうときはより大きな声で

フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト
Fritz Josef Wittenfeld
(R.C. 458 – N.R.C. ?)
In der Animation (A.D.1988-2000)

ビッテンフェルト提督の言葉(銀河英雄伝説)

銀河帝国ローエングラム陣営における主要提督の一人で、後の「獅子の泉の七元帥」の一人である。帝国暦458年2月29日生まれ。ビッテンフェルト指揮下の艦隊は黒色槍騎兵艦隊(シュワルツ・ランツェンレイター)と呼ばれ黒色に統一されているのが特徴。猛将としての名声が高く、ラインハルトの勝利に貢献していった。座乗艦は王虎(ケーニヒス・ティーゲル)。

作中本編では原作一巻、ラインハルトが元帥府を開設した時に登用され初登場となった。作品の時系列では外伝の第六次イゼルローン要塞攻防戦・前哨戦 が初登場である。この戦闘において1隻で2隻を破壊する巧妙な手腕でラインハルトの注目を引き指揮官として登用された。またこのときラインハルトは「猪突猛進に見えるが、じつにいいタイミングで、いいポイントを衝く」と賞賛していた。

アムリッツァ星域会戦、リップシュタット戦役、ランテマリオ星域会戦、マル・アデッタ星域会戦、回廊の戦い、第二次ランテマリオ会戦、シヴァ星域会戦など作中の主要な戦闘に参加し終戦まで戦い抜いている。終戦後、皇帝ラインハルトの遺言で摂政皇太后ヒルデガルド(ヒルダ)によって他の上級大将6名とともに元帥に叙せられる。

ビッテンフェルト及び黒色槍騎兵艦隊の作戦指揮能力と特徴

ビッテンフェルトは元々猛攻型の指揮官でその破壊力、攻撃力には定評があった。それ故、戦局終盤のとどめ役になることが多かった。その破壊力から 「帝国軍の呼吸する破壊衝動」とまで言われた。しかしその反面、守勢に脆い傾向があり最初の攻勢が防がれ持久戦になると後が続かない事や猛将らしい攻撃的な性格が災いして敵の挑発に乗りやすいなどの弱点も挙げられる。具体的な例を挙げるとアムリッツァ星域会戦で第13艦隊に包囲網を破られ同盟軍の撤退を許す原因を作ったり回廊の戦いでアッテンボローの挑発に乗り結果的にファーレンハイトを戦死させてしまうなど。

上記のような弱点が挙げられるがそれ以上に功績も大きい。特にビッテンフェルトは作中で最も敵提督を葬った事実がある。これは戦局終盤に参加する特徴から純粋な功績ではないとも言えるが、同盟の名将たるウランフ、アップルトン、ビュコック、ヤン艦隊ではフィッシャー、メルカッツなどの諸提督を葬ってきた(特にヤン艦隊の運用を下支えしていたフィッシャーが戦死した事により、ヤン艦隊の士気が相当低下した)。その為同盟軍及びヤン艦隊に最もダメージを負わせたのもビッテンフェルトであると言える。敵味方双方に多大な被害を与えるのも特徴のひとつかもしれない。OVA版では甚大な損害を被るシーンが幾度となく描写されたため誤解を生みやすいが、被害が戦果を上回ったのはアムリッツァ星域会戦と回廊の戦いの2回だけである。寧ろ回廊の戦いでは撤退したものの、上述のとおりフィッシャーを戦死させ、あと一歩でヤン艦隊を撃破する寸前まで追い込んだ。

ランテマリオ星域会戦以降、帝国軍全体で病院船の重要性が見直されたが、これは意外にもビッテンフェルトが影響を与えている。同会戦においてビッテンフェルトは前衛部隊の活躍ではなく病院船が最大の功績をもたらしたことをラインハルトに報告したのがきっかけであった。このことに関しては僚友達も驚き、 ビッテンフェルトの別の一面を認識させられることとなった。猛攻型だけに、それを支える後方支援の重要性を知り尽くしていた為と思われる。これらの事実もあり、指揮官を勤めるだけあってただの脳筋ではない事が解かる。

猪武者と比喩されるビッテンフェルト指揮下の黒色槍騎兵艦隊は、作中で最も精強な艦隊で宇宙最強との名声も得ているほどである。指揮官の性格に染まっているせいか、副参謀長オイゲン少将を除く部下たちも猪武者のような性格の者が多い。その為か、部下からの信頼が厚く中には、艦隊副司令官ハルバーシュタッ ト大将のようにビッテンフェルトが軍務尚書とのトラブルが原因で拘禁された際に、ビッテンフェルトが不当な処罰を受けるなら自分は兵士に対し、それを甘受するよう説得はできないと上級大将相手に脅迫するほどの人物もいるくらいである(この件に関してハルバーシュタットは無礼をワーレンに謝した)。

ビッテンフェルトの性格、人柄

基本的には「粗にして野だが卑にあらず」を地で行く性格であり、口が悪いが悪意はなく、その為か僚友と部下などからも慕われている。

代々の家訓である「他人をほめるときは大きな声で、悪口をいうときはより大きな声で」は作中の名言として有名である。

僚友とは意見の相違から口論になることもしばしばだが、中でも軍務尚書オーベルシュタイン元帥に対しては毛嫌いしていて関係は非常に悪い。戦略構想の相違、皇帝批判などに対してのしかかり襟首を締め上げるという前代未聞の行動をとり謹慎を受けた程である。

ローエングラム陣営の幕僚会議、僚友との会話では主戦論や強攻策を唱え僚友に論破されることが多いが決して戦略眼は曇っておらず進言が一部修正または全面的に取り入れることが多い。同盟への再侵攻をラインハルトに決断させたのもビッテンフェルトの進言であった。

美術品及び芸術に全く関心が無く、ラインハルトの古典バレエ鑑賞に随行したときは明らかに退屈そうであった。ルビンスキーの火祭りが発生したとき 美術品そっちのけでラインハルトを救出したが後にメックリンガーにその功績を認められつつ貴重な絵画や彫刻がそれにより失われた事に対して無念であったことを文章にて残している。

ちなみに作者であり造物主たる田中芳樹先生が同盟軍ポプランと共に殺し忘れた帝国側の主要人物である。作者曰く、「死ぬ予定だったのに作者の魔の手を逃れて最後まで生き残った人物の一人」らしい。