国立公文書館
慶長7年(1602)4月11日、徳川家康は島津義久(竜伯)に対して薩摩・大隅と日向国諸縣郡内の所領を安堵し、甥の忠恒(少将。家久)への相続も認めました。また、関ケ原合戦で対立した島津義弘(兵庫頭)も赦免されました。画像は譜牒余録の巻第9に収録された書状案の写しです。
digital.archives.go.jp/img/4148288/33
慶長7年(1602)4月11日、徳川家康は島津義久(竜伯)に対して薩摩・大隅と日向国諸縣郡内の所領を安堵し、甥の忠恒(少将。家久)への相続も認めました。また、関ケ原合戦で対立した島津義弘(兵庫頭)も赦免されました。画像は譜牒余録の巻第9に収録された書状案の写しです。
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