嫌いな言葉

支援という言葉が嫌い

好きなお店がまた一つ、閉店してしまいました。鹿児島枕崎産鰹節、とても美味しかったのですが、残念です。

ところで、よく筆者のところにも、支援してくれとか援助してくれとかいろいろ相談という名の話が舞い込むことがありますが、かかるお申し出については、改めて、きっちり謝絶しています。
ほかを当たるなり、自分でやるなり、なさってください。
わたしは、そもそも支援とか援助とかいう言葉は嫌いです。
取引は等価交換。
お互い、対等な人間同士、堂々と話をしようじゃあ
ありませんか?

お互い足りないもの同士を交換する、融通し合う、お金でも時間でも能力でも。それが前向きな取引の相談というやつです。

ただカネをくれ、時間を寄越せ、というのは自分自身の貴重な誇りという資産を無用に貶めているだけではないかと思います。

人間覚悟を決めたら何でもできます。窮地?苦境?それを招いたのは全部、あなた自身でしょう。逆に考えればこれ以上鍛えられる機会はない、ということでもあります。矢印を自分自身に向けて、一歩を踏み出すことが一番だと思います。