ネット選挙の解禁?

「技術的に可能」という言葉の無責任さ

ネット選挙にしろと言う人がいます、方や、秘密選挙が守られないのでは?という懸念を示す人もいます。
いつも議論に上がるネタ。これが「ネット選挙解禁」。
さあ論じましょう。「ネット選挙自体は技術的には可能」ですよ。そら技術的にはね。AKB選挙とか、ほかの選挙はいくらでも、ネットでやってる。例えば、仮想通貨に使われるブロックチェーン使って投票データを分散台帳に記録して、ゼロ知識証明で投票内容を秘匿したまま本人認証して…ほら、バズワード並べりゃ、いくらでも堅牢なシステムは設計できる。ちゃっとGPT に書かせりゃ、コードもかけるよそんなもの。たかだか1億票程度の話だから。兆円単位の金融システム組んでる現代のコンピュータシステムに、できないわけなかろうもん。

…理論上はな。

だが、そんなもんで全て解決できると思ってるやつは、夢見る中学生か、ほかの人を騙そうとしてる詐欺師だけだ。いいか、問題はコードじゃねえ。コードを動かすハードウェアでもねえ。

そのシステムを使う、ヒューマンエラーの塊…つまり、人間様の方なんだよ。これは、「火の鳥」という大著で、作者手塚治虫が繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し…描いていることだけど、ここでもまた繰り返しますね。輪廻転生。

『投票所に行かなくても、選挙ができる。』
どこでも選挙ができるということは、「秘匿性」がなくなるわけだ。

これが何を意味するか。

例えば、大学生が「うぇーい、日本人ファースト最高! みんなで入れようぜ!」って、TikTokのアイスバケツチャレンジみたいなノリで、国の未来が決まる。

あるいは、会社のクソ上司がZoom会議でニヤニヤしながら「皆さん、我が社の将来のためにも、正しい選択をしましょうね。では今から画面共有して、投票完了画面を私に見せてください」なんていう、現代の踏み絵が始まる。

秘匿性はなくなるわけだ。

どうだ? 技術で秘密を守ったところで、それを使う、その結果に従う「人間」がこれだけ脆弱なら何の意味がある?

そして、忘れてはいけないのが外からの攻撃だ。

どこかの「大統領」選で実際にあった話だが、あいつらがやったのはサーバーを落とすなんていう野蛮なことじゃねえ。もっと賢くて、もっと陰湿だ。

対立候補の陣営のメールサーバーをハッキングして、盗んだ情報を選挙戦が一番盛り上がる絶妙なタイミングで暴露サイトにリークする。SNSでは、AIが作った偽アカウント軍団が、「あいつは実は重病だ」とか「こいつはマイノリティを差別している」みたいな、ターゲットの心理に合わせてカスタマイズしたデマを大量に流し込む。嘘でもなんでもいいのよ。人間をハックすればいいんだから。いくらでも騙せる。コンピュータなんかより、はるかに人間は脆弱だ。6,000万人の真面目で勤勉なドイツ人たちが、国家社会主義ドイツ労働者党という単一政党にハマって世界大戦引き起こしたことを引っ張り出して学ぶんだね。

やつらの得意な『デジンフォルマーツィヤ』ってやつだよ。実にハラショー、効率的じゃねえか。システムに直接触らずに、結果だけをハックするんだからな。過程なんてどうでもよくて、最後の数日間で、実際に投票に行く「人間」に毒霧かませばよいだけ。

どんなに完璧なセキュリティソフトを入れたって、ユーザー自身が「ウイルスに感染しました。マイクロソフトセキュリティーサービスに連絡してください」っていうフィッシングサイトのリンクをホイホイ踏んだら終わりだろ。それと全く同じことだ。

結論は一つだ。今の日本でネット選挙を導入するのは、砂漠のど真ん中に最新鋭の浄水プラントを建てるようなもんだ。技術的には水を作れても、それを運ぶインフラも、その価値を理解できる人間もいやしねえ。

どうしてもやりたい!ってのなら、
まずやるべきは、全国民を対象にしたITリテラシー向上ブートキャンプでも開くことだ。
技術的には可能だろ?な?一体何数兆円かかるか、皆目見当もつかねぇが。

話はそれからだよ。

筆者は選挙会場で、プラスチック製でつやつやペラペラした、あの「ユポ紙」折り曲げて、それが、自動的にふわーっと戻ってくるの眺めるのが好きなんだけどな。

AKB選挙はデジタルで良し。

本当に真面目な選挙は、やっぱりデジタルじゃだめだよ。この世にたった一つしかない、コピーできない、「紙」だよ。有価「証券」理論っていうのは、この世に唯一のものに自分の「意志」を乗っける、その作業のことをいうのよ。源氏物語が、枕草子が、デジタルサーバーに残って1,000年の時を超えて、現代によみがえることは、ない。逆はよくあるけどな。コピーされた、「紙」しか残ってねえ。太平記、すらね。あれは戦国時代に特S級戦国武将の吉川元春さんが陣中で写経したものが一番古いものとして、現代に伝わっているもの。

ホントに大事なものは、紙とか石に刻め。
他は全部デジタルコピーで構わない。死んだら他人にとってはただの電子ゴミだよ。
一番大事なことは、他人の記憶に刻む活動ができるか、ってことさ。

今でもキャンバスに油絵描いてる馬鹿な知り合いを持つ、筆者より。

以上