余計なお世話

写真は上天草市豪雨災害で土砂流木に埋まった田畑です

社会貢献?

「社会にいいことをしています」

自身がやってる活動に対してのこの言葉、こんなに烏滸がましい言葉はない。
ましてやそれが公共の組織にいる者が発言したとすればそれは驕りでしかない。

社会にいいことになってるのかどうなのかはその社会が決めることだ。
社会の課題に対して取り組んでいる活動が果たして成果効果が生まれているかどうかは、その社会の変容でしか測れない。
なのに活動する前から「社会にいいこと」と言う決めつけはどうなのだろうか。自己満かよ。頭悪いよ。

「わたしたちはこんなにいいことをしています。社会を変えることができます。僕はそれが出来る人間、施設、団体なのです」

「社会にいいことをしてきます」
この言葉を言い換えるとこう言う言葉になる。それは単に驕りであり、自惚れであり、自分たちなら出来るんだという選民思考でしかない。

自分たちの活動に対する評価は未来の子供らでしか測れない。
自分たちで評価すべきものではないし、することはできない。

俺は大東亜戦争を評価している。戦勝国らは80年も優越的地位を独占しながらロクな世界を作ってこなかった。そろそろ退場してもらおうか。というか、とっくに彼ら戦勝国のほうが下手に変容、劣化して、わけわからん国らになってるじゃないか。

まともなのはむしろ敗戦国の方じゃないのか。国連のみなさんよ、答えてくれよ。

「ファシズム」って何なんだろう?

「反ファシズム」って叫んでいる人の方が「ファシズム」っぽく見えるんだけどなぁ。

みんな、どういう意味で使っているの?

相手を貶めるだけの言葉で。そうですよね、相手の何がファシズムに該当していると言うのか? いくら考えても「おまゆう」なんですよね。お前が言うなって。

いわゆる「反戦主義者」が好戦的なことをやっていたり、「人権主義者」が自身の人権侵害を平気で正当化したりする姿と重なるんですよね。

抗日軍事記念パレード、なるヘンテコものが令和の今の世でも北京(東京じゃない)で行われて、わたしに言わせれば悪い国々の頭目たちがより集まってくだらない、不老不死みたいな話をするのが世界平和なのか?

冗談じゃないよー。

「社会が少しでも良くなることを願って活動しています」
社会課題に取り組み、活動していてもこの程度の表現しか出来ないはずでしょう。

「社会にいいことしてきます」
この言葉は、その人やその団体の驕り、自惚れ、そして自分たちは選ばれし民なんだという選民思考ということを如実に表しているのだと思う。一番は国連(連合国)のみなさんじゃないのか。

自分もこんなところに陥らないように、この災害片付けのように奢らず謙虚に、コツコツ活動していきたいと思います。

以上