日本人は貧乏になったのか

外人の富裕層が来ない

日本人って貧乏になったのでしょうか。例えばこんな瞬間があります。曰く、

娘がインターナショナルスクールの保育所に通っているのですが、そこに勤めていた優秀な女性の先生が旦那さんの転勤で辞めてしまったんです(彼女はフィリピン人で教育学の学士持ち、旦那さんは日本人)。

その、後任がなかなか見つからない。

彼女は年長さん組(いわゆる5歳児クラス)の担任だったのですが、仕方なく年長さんは代理の先生がずっと見ているという状態です。

インターナショナルスクール校長先生は、曰く「教育や保育の学士持ちで経験のある人となるとなかなか・・・」だそうですが、そりゃ全くそうなるだろうと思います。

インターナショナルスクールで教えることは教師にとってもキャリアになるのでわざわざ外国のインターに就職しようという人は多いのですが、円安の日本には来ない。

これほどの円安に加え、中国とかシンガポールとかマレーシアの方がずっと個別には良い条件で雇ってもらえるんですから。

日本は給与が低い上に勤務環境も悪いので、日本人と結婚して日本に居ざるを得ない人とか、よっぽど日本が好きな日本フリークしか来ないでしょう。

日本は学歴の高い外国人にとって「わざわざ来る」ような場所ではもはやないんです。

「治安がいい」というウリがありますが、発展途上国でも治安の良いエリアに住めばセキュリティは基本万全なので全く響きません。

その上、進む排外主義と外国人差別。

ガラパゴス化の益々進む日本にいたら、日本人はこの先どんどん機会を失うだろうなと思います。

とまあ、グローバル教に侵された選民主義的ご意見を呈示しましたが、確かにこのような一面はあるでしょう。

しかしながら、本当に日本人はオワコンで貧乏になったのでしょうか?

筆者は1974年、昭和49年生まれで50年くらい人生やっていますが、私が小学生の時に行われた1992年バルセロナ五輪において、森下選手や有森選手が銀メダルとか銅メダルとかを取ってそれはそれはすげぇと興奮したものです。日本の金メダルなんて、バサロスタートの鈴木大地選手くらいしかいなかったです。

しかるに、今はどうでしょう。オリンピックでは金メダルをあらゆる競技で取りまくり、かのメジャーリーグのワールドシリーズで3勝して文句なしのMVPに輝く投手が日本の九州宮﨑から出るとは、誰が想像したでしょうか。

日本はオワコンで、その田舎の九州で、地元の野球少年クラブから甲子園を目指した、どこにでもいる普通の球児だったんですよ山本選手も。

これは、どのように説明されるのでしょう?

話変わってノーベル賞。毎年毎年、変な研究ばっかりやってる日本の怪しげな国立大学、クソ安い学費となけなしの科研費で、貧乏の極みにあるであろう研究環境から、なぜノーベル賞受賞者がわらわら出てくるのか。年間学費たった70万円(金めっちゃかかる医学部もね!)で世界のトップランク百位以内に入っているイカれた京都大学。

スタンフォードやオックスフォード大学にやりたければ、授業料だけで1000万円を軽く超えるのですが?

比叡山の延暦寺。1300年続く根本道場が改修されていますが、この大難工事に、一体いくらの巨費と歳月が投入されているのか。日本人はビルゲイツ君とは違って何兆円寄附したとか言いふらしません。みんながやった、皆さんのおかげとしか言わんよ。伝教大師最澄は凄い人ですけど自分らと同じ、悩める一人の人間だったとみんなが思っているから、こうなるのです。

最澄が起業して、ユニコーン企業を上場させたからではないのだ。

カネしか見えてないグローバル教の連中には分かるまい。

私が大好きな司馬遼太郎、坂の上の雲、という歴史小説において、ひときわ筆者が好きなのは、以下の一文です。

これは、紹介文でも本編ですらでもない、あとがきその1、の中の小文ですが、ここに、日本人というものの真骨頂、真髄が示されていると思うのです。この作者自身も相当イカれています。日本人の典型ではないですか。

...

子規について、ふるくから関心があった。
 ある年の夏、かれがうまれた伊予松山のかつての士族町をあるいていたとき、子規と秋山真之が小学校から大学予備門までおなじコースを歩いた仲間であったことに気づき、ただ子規好きのあまりしらべてみる気になった。小説にかくつもりはなかった。調べるにつれて妙な気持になった。この古い城下町にうまれた秋山真之が、日露戦争のおこるにあたって勝利は不可能にちかいといわれたバルチック艦隊をほろぼすにいたる作戦をたて、それを実施した男であり、その兄の好古は、ただ生活費と授業料が一文もいらないというだけの理由で軍人の学校に入り、フランスから騎兵戦術を導入し、日本の騎兵をつくりあげ、とうてい勝ち目はないといわれたコサック騎兵集団とたたかい、かろうじて潰滅をまぬがれ、勝利の線上で戦いをもちこたえた。かれらは、天才というほどの者ではなく、前述したようにこの時代のごく平均的な一員としてこの時代人らしくふるまったにすぎない。この兄弟がいなければあるいは日本列島は朝鮮半島をもふくめてロシア領になっていたかもしれないという大げさな想像はできぬことはないが、かれらがいなければいないで、この時代の他の平均的時代人がその席をうずめていたにちがいない。
 そういうことを、書く。どれほどの分量のものになるか、いま、予測しにくい。

...

かれらは、天才というほどの者ではなく、前述したようにこの時代のごく平均的な一員としてこの時代人らしくふるまったにすぎない。かれらがいなければいないで、この時代の他の平均的時代人がその席をうずめていたにちがいない。
 そういうことを、平均的日本人の一人として、思うのです。

日本は貧乏になった?こちとら、優に二千年、縄文の古きから数えたら一万二千年、ずーっと貧乏だぜ!!

それがどうした?ハッ!くだらん!

カネがあったら満足か?

以上

追記

司馬遼太郎「街道をゆく」17巻、島原天草街道編の中頃に筆者のご先祖が出てきますからここまで読んじゃう興味あるイカれた読者は探してみてください。

おわり