暴力団排除条例

静かな住宅街に響いた一発の銃声が、一人の主婦を「ヤクザと戦う母」へと変えた。
1997年、福岡県。当時18歳だった娘さんは、アルバイト先の喫茶店で暴力団の抗争に巻き込まれ、流れ弾に当たって命を落とした。あまりにも突然の悲劇。しかし、母親をさらに絶望させたのは、法の限界だった。
警察は実行犯を逮捕したものの、組織のトップである組長の責任を問うことはできない。法の下では、個人の犯罪は個人の責任であり、組織全体の罪とはならないのだ。「警察に無理なら、私がぶっ潰してやる」。娘の無念を胸に、母はたった一人で、巨大な暴力団組織への復讐を誓った。
彼女が選んだ武器は、暴力ではなく「法律」だった。法律の専門家でもない普通の主婦が、猛勉強の末に前代未聞の訴訟を起こす。日本で初めて、暴力団組長を相手取った損害賠償請求訴訟である。
当然、組織からの嫌がらせは熾烈を極めた。無言電話、脅迫、尾行。駅のホームから突き落とされそうになったことも一度や二度ではない。しかし、彼女の覚悟は揺るがなかった。その姿に心を動かされた警察、弁護士、検事、そして多くの市民が彼女を守り、支えた。
事件から10年。長い戦いの末、ついに彼女は4000万円の和解金と、組長からの謝罪を勝ち取る。しかし、彼女の戦いはまだ終わらない。その和解金を元手に、暴力団による被害者を支援する基金を設立。彼女の活動は全国的なうねりとなり、ついに国を動かす。組関係者が企業や市民と取引できなくなり、その資金源を断つ「暴力団排除条例」が全国で施行されたのだ。
娘への想いから始まった一人の主婦の戦いは、やがて日本中の暴力団組織を根底から揺るがす、とてつもなく大きな復讐劇となったのである。