毎日が誰かの命日であり生誕日であり記念日であるという当たり前の話(2021/05/05)
▼毎日毎日、新型コロナウイルスで亡くなった方が100人単位で出ている令和3年の日本です。なんと、累計で1万人を超えているということです。1万人もの日本の命を奪った新型コロナウイルスの猛威は、もう1年以上も日本社会を毎日毎日蝕んでいます。蝕んでいますと書いたのは、誇張ではありません。亡くなった人を悼んでそういうのではなくて、生きている人の活力を行動制限外出制限によって蝕み続け、経済社会を停滞させ、新しい子どもたちが生まれるための障害を増やしまくっていることを指して蝕んでいるとここでは書いています。
▼本日(2021/05/04)時点で東京大阪兵庫京都の4都府県に緊急事態宣言が発令されていますが、続いて九州の福岡県においても、2021/05/03に、新型コロナウイルス対策として政府に要請した「まん延防止等重点措置」と同等の対応を5月6日から始めることを決めたそうです。福岡市と久留米市を重点区域と位置付けた上で、飲食店への営業時間短縮要請(20時まで)を全県域に拡大し、映画館や商業施設、球技場などには新型コロナ特別措置法に基づかない働き掛けとして福岡市と留米市では20時まで、そのほかの地域では同21時までの時短営業を依頼するとのことです。イベント開催は、来場者が最大5千人となるように要請し、既にチケットが販売されたイベントは別として、5月6日からは上限を超えるチケットの新規販売の停止を要請、飲食店の時短要請はカラオケ店や屋台も対象となるとのことです。既に21時までの時短を要請している福岡市と久留米市は20時への繰り上げを求め、そのほかの地域は21時までの時短を要請し、合わせて酒提供のオーダーストップは福岡市と久留米市が午後7時、そのほかの地域は同20時とするとのことです。
▼でありますが、この新型コロナウイルスで亡くなった方を含む、2020年に日本で年間亡くなった方の数は、138万人超となっておりまして、つまり、一日あたり3700人以上の方が亡くなられています。つまり、人間が認定したよくわからなくて怖い新型コロナウィルスによる「死」をはるかに超える当たり前の死が毎日我々の周りで起こっているわけです。もちろんマスクはしたほうがいいし、飲むなら静かに、不要不急の外出も控えるべきでありますが、そんなことやってもやらなくてもやっぱり毎日誰かの命日であることは事実ですし、新型コロナウイルスだけが死を運んでくる忌むべきモノではないということは知っておいたほうが良いと思います。ということで、筆者はこれから要で急の用件があるので外出してこようと思います。
▼東日本大震災や新型コロナウイルス感染症について、自分がどのように解釈して自身がどのように振る舞うかを決めるのは全く構いませんが、他人や他者、日本や世界に対して大仰なことを「要請」「要求」して悦入りするようなさもしい振る舞いをしないように、人間の行動を整えていきたいところです。セレモニーに出席するとか、黙祷するとか、死者に心を寄せるとか、そういうことは、他人から強制されるものでは決してなく、また他人に強要するものでもないという、当たり前の感性を大切にしたいなと考えています。
▼ちなみに、「新型コロナウイルス」というのが正しいとされている表記ですが、「新型コロナウイルス」の、イを小さいィで表記されている例もありましたので、本稿では一つだけ後記の書き方で書きましたので気になる方は読み返してご確認ください。