百年に一度の危機
百年に一度の危機、など軽々しく言うものではない
▼百年に一度の危機、そんなものはやっぱり100年に1回しかないものだと改めて思います。教育は大切だという話をします。
▼2019年コロナショック、2011年東日本大震災、2008年リーマン・ショック。大きな世界的イベントや災害が起こった時、人(というかマスコミ)はよく100年に一度の危機という言葉を使うようです。2008年のリーマン・ショックに端を発した世界的金融経済危機については、その当時を知る筆者としても確かに大変でしたし、高度に統制されていた金融理論を超えたカオスな状況に陥ったことは事実でありますし、それはそれとして正しい面もあろうかと思います。
▼しかし100年に一度のインパクト、などというのは少し僭越かつ大げさなのではないでしょうか。日本で100年前といえば、日露間(当時は大日本帝国vsロシア帝国)で、その国が生きるか死ぬかという文字通りの戦争をしていたわけで、旅順要塞では双方数万人にも及ぶ死傷者を出す凄惨な状況でした。日本は国家予算の10年分をロンドンで起債して調達、すべて戦費としてぶっこんで使い切るという状況です。ロシアも革命の前夜、国内政治は疲弊したところの新興国日本を相手の総力戦でした。大国ロシアもこの戦争が原因でツァーリズム打倒の革命が起こっていきます。
▼100年という時間は非常に長くいろいろなことがありまして、国家の存亡がかかっている状況は、確かに大きな出来事ですけれども、所詮カネの世界で世界中で相場暴落の引き金となった大手金融機関の破綻があったことなどとを同一視する人は、旅順に散った我々のご先祖や日本海の藻屑と消えたロシア将兵に対して、少々申し訳ないというか、その程度でおろおろするのは違うのではないでしょうかという気がしています。そもそも金融市場というものが20世紀の人間が作り上げた代物で、そこに起こった一事象をもって100年に一度のとは少々おこがましいのではないでしょうか。
▼やっぱり、このようなことを理解するための俯瞰した視点を持つため、一定の教育や教養が必要であることは論を待たないのでありまして、よい大学にいって、よい企業にはいるのだけが人生ではない!とか言う心地よいけど無責任な人の発言を鵜呑みにして、どう考えてもぶっちぎりで一番よい人生をおくれる可能性が高い学習をおろそかにするような残念な子供や大人にならないようにしたいものです。その意味で、自分の子供や近所の子供に勉強せえと言ってこうした安牌早上がりの進路を強制するのも愛情のひとつであります。よっぽどでないかぎり一般早上がりルートから外れて大きく巻き返せるほどの才能は、筆者を含むほとんどの人にはないものと心得たほうが良いです。もちろん、大人になっても勉強は続きます。個人的意見ですけど。
▼その上で、このことを充分わかった上で、はみ出すのもそれも人生、自由だと子供たちには教えたいです。でないと早晩、そのような子供は世の中は不平等だと喚いてすがるだけのさもしい畜生、大きな子ども、に成り下がる確率が高く、親や保護者としてそのような害毒を世に放つのは耐えられません。百年に一度の危機とか、未曾有の危機とか、危機感を煽って他人の興味関心集中を得ようとし、その実我々を広告養分としか考えていないのではないかと思われるさもしい動きや連中から、ちょっと距離を置いてみませんか、と死んだばあちゃんが言ってました。あくまでも個人的見解です。GAFAとか言ってませんから!
▼人が作り出した金融資本主義の世界で、いくら相場の暴落が起きようがそれだけで人が死ぬわけではありません。カネはあくまでヒトの幸せのために使うものと心得て、大局観をもって相場に向かいたいものです。そんな私も日々高止まりした株式や債券市場に対する暴落相場の到来に怯え、暴落したらしたで買いを出せない小心者です。そんな金融相場で一喜一憂しております素人の筆者からは以上です。