父の日の思い出

「父の日、父との思い出」

先日の父の日。
その日が父の日だと思い出したのは当日になってからw
夫ちゃんが父の日だ!!と言って実家の父親に電話をしていて。
あ、私もメールだけ送っておこうかなと、父親の誕生日以来2ヶ月半ぶりにメールをした。
父親とは私が16歳の1996年に両親が別居して、2016年にやっと離婚してそのまま。
今は父親が地元からかなり遠い場所に住んでいるため、会うことは数年に一度。
2016年の離婚の際に、視力に障害のある母親の代筆で私が離婚届を書いて、「私まだ婚姻届も書いた事ないんだけどwww」という話をして笑いながら離婚届にハンコを押したけど、それ以来父親には会っていない。
父親と私や弟妹との関係は昔から希薄だった。
私は弟妹が生まれるまでの1年10ヶ月の間は、結構父親に可愛がられていたらしい。
どんな風に可愛がられていたのか、母親に聞いても思い出せないらしいけどw
父方の祖父母にも初孫ということと、父親に似ているということで溺愛されていた私は、弟妹が生まれてからは、祖父母の家で暮らしていたくらいで。
それだけ父親に似ていると、成長しても似ているもので。
性格とか言うこととか同じだったりして、母親に嫌がられていたり。
そんな父親なのに、私は父親に会っても何を話せば良いのか分からない。
父親と話し慣れていないから。
父親が私が16歳で家を出たことを、長らく私は父親の家出だと表現していたのだけど、父親の家出はそれが4回目だった。
1回目なのかは分からないけれど、弟妹が生まれてから父親は一度家を出た。
母親に対し、「あなたは子供が三人になって母親として格がついたけれど、僕は仕事で何も得ていないから仕事するために家を出ます」とかほざいたらしいw
弟と妹は双子なので、双子の育児を母親は一人で任せられて、相当大変だったようで、父親としての自覚の無さに相当呆れたらしい。当然だな。
4回目の家出をする時、母親は家出するなら二度と帰ってこないでと言って突き放した。
今までは何とかして帰ってきてもらおうと思っていた母親だけど、これだけ頻繁に居なくなるなら完全にいない方がマシだと感じたらしい。
でも、母親は何度も父親と話し合いをした。
このまま家を出て暮らすとなるのは、子供の為に絶対的に良くないと言うと、父親は「それなら交通事故で父親がいなくなった子供たちはどうなるの?」なんて事を言って、実際は生きているのに自分の子供にそんな思いをさせるのかと、そこでも母親は大いに呆れたそうだ。
父親は本当に父親らしくなかった。子供を怒る怒り方が全くわかっていなかったし、だからこそ意味不明なところで私たちに包丁を突きつけて怒りを表現したり。そう書くと激しい人のイメージになるかもしれないけれど、家庭内暴力などは無く、逆に大人しい人だったし温厚な性格の人、どちらかというとフワフワと空を舞っていそうな雰囲気の、足が地面についていない浮世離れしている人なので、だから父親としての自覚がなく、自分のことしか考えられない人だったそうだ。
動物占いでは、父親はペガサスだった。当たっているなと思う。

父親は土日になるとゴルフやスキーやテニスと、自分一人で遊びに出かける。家族で行くのは夏休みの家族旅行だけだった。
そしてそれは父親が家出をしてからも、毎年の行事として行っていた。
思春期真っ盛りな私は、そんな風に擬似家族のような関係が疎ましく、仮面家族は要らないと常に言っていたし、家族旅行もいかない年もあった。
反抗期の私は、強く父親を避けていた。
そしてそのまま、父親との関係は修復される事なく年月が経過していき、父親を否定しているくせに、男性に対して父親的なところを求めるように付き合う人はほとんど年上の人だった。父性の成分が足りないんだなと自分でも感じていた。

それでも大人になると、父親には何も感情はなく。
ただ別居していても母親に給料を渡してくれていたので、障害を持つ母親が生活できていたのは父親の仕送りのおかげだし、そのことについては感謝している。
昔から妹が一番父親に懐いていた。弟は4回目の家出からずっと父親との交流を避けている。
双子でも色々あるんだなと思いながら、段々双子が父親との接点を持たなくなってからは、私は逆に父親の理解者になろうと思ったり、私は私で色々あるのだ。
父親と最後に会った時、それは母親が盲腸で入院していて、入院中に盲腸の手術でお腹の中をきれいに洗ってもらったらしく、そうしたら気持ちもスッキリしたいと母親が思い立って、同居20年、別居20年、結婚歴40年の記念の年に離婚したいと思ったとかで。
だから早く離婚届を持ってきて欲しいと言うと、今までは言っても持ってこなかった父親がすんなり離婚届を持って実家に現れたので、そのままの勢いで離婚届を書いて、提出は日付が近かったので、私の誕生日に役所へ提出して、それを誕生日プレゼントにして欲しいと頼んだらあっさりと許可が下りて、離婚記念日は私の誕生日になった。

父親と会っても何を話して良いのか分からない私は、父親と連絡を取るときはメールで済ませている。なので父の日も、そして父の誕生日もメールを送るだけで終わる。
今は父親の事が何気に好きだったりする。
でもそれは父親本人を好きなのか、それとも父親という存在を好きなのかは分からない感じである。
私は結婚したと父親に話したら、とても喜んでくれていた事、でもメールでのおめでとうだった事を母親に言うと、なんで電話すらしないんだと父親に憤って、母親から父親に説教電話。からの私に父親からの着信。
父親からの着信で私はとても驚き、電話を取るのが怖くて1度目は取らなかった。
でもそれを母親に言うと説教食らうのはわかっているので、2回目の着信の時に電話をとり、そして夫ちゃんとも父親は話してくれて、お祝い金も少し頂いた。
正直、父親に会いたい。
でも今は定年退職して、アルバイトをしていると言っている父親に、会いたいと言っても交通費と時間がありません、なんて前に言われたので、気持ちは押し殺している。
でもやはり、父親に会いたい。
今から父親にメールを送ろう。
会いたいと送ると、今回はどんな反応をされるだろうか。
とても近い存在の予定だった父親。
今はとても遠い存在だけど、やはり私にとっては父親は父親でしかない。
多分、世界中の男性の中で私が一番好きな人は、この父親なんだろうと思う。
愛しているよ、パパ。