”カンニング”竹山の由来
カンニング竹山さんが亡き相方・中島さんへ送った言葉
カンニング竹山さんは福岡市出身のピン芸人です。
ピン芸人ですが、カンニングというのは昔は漫才コンビでした。
相方はカンニング中島さんで、中島さんは白血病で35歳で亡くなっています。
死が二人を分かつまで、が結婚だろうがコンビだろうが、そういうものなのでしょうが、竹山さんは、相方の死のあとも、カンニング竹山として、カンニングというコンビの片割れとして活動しているわけです。
もともと「カンニング」というコンビ名で漫才を披露していました。
相方は中島忠幸さんでカンニング中島と名乗っていたのです。
カンニングは、福岡市早良区の小学校の同級生同士だった竹山隆範と中島忠幸が組んだお笑いコンビです。
双方とも福岡から上京後に東京で再会し、平成4年に結成しました。
東京での下積みを経て平成15年から「エンタの神様」をはじめ数々のバラエティーで人気を集めた。大ブレーク寸前といわれた平成17年12月、中島さんが倒れ、翌年1月に「急性リンパ球性白血病」を公表し、治療のため休業。相方の死後、竹山は芸名をカンニング竹山としたのです。
カンニング中島は2006年12月20日、白血病のため35歳の若さでこの世を去りました。
以来、15年。元・相方の竹山はカンニング竹山としてピンで活動してきました。
15年の期間はあっという間で、最近の人の中には、竹山さんがもともと「カンニング」というお笑いコンビを組んでいたことを知らない人も結構います。
それはそれで普通のことですが、竹山さんは今でも中島さんの法要を欠かさず行っているそうです。
さらに、中島さんの闘病中には、あくまでカンニングとしてもらったギャラとして、相方の治療費にと折半していたのです。
自分がもともと借金まみれで、その借金取りに追われてむしゃくしゃして始めた彼のキレ芸だったのに、ギャラを半分分けるとは、到底できるものではありません。
そんなカンニング竹山さんが、中島さんへ送った最後の弔事が泣けますので全文を掲載して、この紹介を終わります。
福岡って、なかなか面白い人間を出す土壌がどこかにあるのでしょうか。
カンニング竹山が贈った相方への最後のキレ芸
おい良かったな!みんなお前
みんな見に来てよるよ、お前なんかさ、マスコミとかも、
すごいぞ なんか昔全然 こんなんじゃなかったのに
凄いことになっとる!
おまえに 昔お前に辞めようって話したときに
でもなんか こう芸能界の前に爪跡だけ
残して辞めようって話しして
爪跡どころじゃなくなっとるよ!
何か色々なあ 俺とお前の何か感動秘話みたいに
なっていっぱい流されよるけども
俺はお前がもう何て言いよるかもうわかるわ
「気持ち悪いなあ」ってお前 笑いよると思うんよ
俺もそう思っとるよ
俺はお前と なあ二人でコンビ組んで
ずっとね こうやって 漫才とかやれて お笑い芸人になって
やれたことが本当に幸せやった ありがとう
もういつ そっちに往くか もうわからんけども
俺がまたそっちに往ったらまたやろうや
いいかお前な 待っとけ
ありがとう じゃあな
いつもとおんなじように別れるぞ
じゃあな