邪馬台国宮崎説






衝撃の重大事実
中国語を母語とする人は「水行10日陸行1月」は「水行なら10日」「陸行なら1月」と読みます。
科学が解き明かした邪馬台国
邪馬台国は宮崎市にあった! (その26)
宮崎市説は『魏志倭人伝』の邪馬台国の条件をすべて満たす唯一の説です。また『古事記』『日本書紀』と矛盾しない唯一の説です。邪馬台国宮崎市説は新たな定説になるでしょう。
私は古代史ノンフィクション作家で邪馬台国宮崎市説を提唱しています。
邪馬台国研究における最大の問題点は『魏志倭人伝』の行程記述、「南に至る邪馬台国 水行10日陸行1月」の解釈にあります。これまで、ほぼ全ての研究者がこの記述を「水行で10日行き、さらに陸行で1月行く」という「AND」読みで解釈してきました。しかし「水行10日陸行1月」は中国語を母語とする人々は、「水行では10日、あるいは陸行では1月」という「OR」で読んでいます。これは現代中国語はもとより、古典においても同様であり、中国語の常識、中国人の常識だそうです。この解釈の正当性は、中国大使館教育部への書面による確認でも裏付けられています。「OR」で読むのがメインという回答を得ています。この事実は周りの中国語を母語とする人に確認すれば、誰でも検証可能です。ほとんどの人が「OR」で読むはずです。「AND」の時は「水行10日而陸行1月」と接続詞の「而」という字を入れます。これまで、日本の邪馬台国研究者のほとんどが、この記述を「AND」の読みで解釈してきました。この「AND」で読む解釈により邪馬台国への行程が説明できず、邪馬台国研究は迷走してきました。その為に邪馬台国の所在地の特定に至らないのは必然です。この中国語を母語とする人が「OR」で読むという衝撃の事実により、これまでのほぼすべての邪馬台国研究が根底から見直す必要に迫られることになります。
周りの中国語を母語とする人に確認してください。誰でも検証可能です。
この事実と邪馬台国宮崎市説を月刊『ムー』2025年8月号で発表しました。
このことから、次のような考察が導かれます。
邪馬台国の行程が縮まり、素直に『魏志倭人伝』の行程の記述に従えば、邪馬台国は南九州にあることになります。近畿説のように、南を東に読み替える必要がなくなります。
邪馬台国は水行でも陸行でも行けるところとなり、海に面しているところとなります。
地理的に見て西日本では、南へ水行10日、あるいは南へ陸行1月で行けるところは、九州の東海岸か西海岸しかないということになります。
筆者の見解では、「南至投馬国水行20日、南至邪馬台国水行10日陸行1月」は、北部九州から九州の東海岸を航行し、大分市を経由して佐伯市で上陸してから、九州の東海岸をそのまま船で10日間航行して宮崎に着くか、あるいは佐伯から一月間陸行して宮崎に行った、ということになると考えています。
