自粛もう飽きた
「ああ、憎い。」
新型コロナウイルスによる感染症対策での自粛生活がはじまってから一年半超えになる。
東京や大阪などの大都市部では緊急事態宣言を繰り返し発動している。
明けたらどうせ感染者数だってリバウンド。
もう、どうせこうなるというのがあれもこれも。
諦めている、もしくは諦めていた。
ああ、憎い。
緊急事態宣言が初めて出た時は、これはとても大変な事だとみんなで自粛したよね。でも、何度も発令されている都市部の方では、当初のような緊張感はなさそうだ。それどころか宣言中なのに時短営業すらしていない店もある。
宣言が明けたら、路上で座り飲みをしている人で溢れていたり、馬鹿みたいに外に出て感染を拡大させている人たち。
何かと理由をつけて行動を自粛しなくなっている人たちのおかげで、今日も我が県の人が死ぬ。近々私もそういう人たちのおかげで死ぬかもしれない。
ああ、憎い。
宣言出ていた所に住んでいる人は、これから発行される予定のコロナワクチンパスポートを、元々の利用目的よりも出番を多くする意味でもたくさん活用して、他府県に移動する時は必ずそれを提出して許可を得てからとか、もっともっと徹底的に人の動きを排除しなくては、このまま感染拡大し続けて、いつになっても治らない。
若い人がワクチンを打つつもりがない人多すぎるのも、理由はわかるけれどネットのデマ情報鵜呑みにしてる人多すぎるし、自分たちは感染しても重症化リスクは少ないのかもしれないけれど、その人の周りにいる人がそいつらの行動のせいで死んでも後悔は遅くさい。
ああ、憎い。
私が言いたいのはただ、お前らのせいで私を殺してくれるなよ?ってだけなんだけど、それはかなり難しいらしい。
理由がたくさんあるらしく、そんな理由の中での行動を何も言われたくない人も多いらしく、だから私が死んでも仕方ないというのが世間の考え方なんだな。私がいう「私」とは、全ての人が思う「私(自分)」なのに、反発心しか生まれないのは何故だろう。私がもっと賢く綺麗な文章で伝えれば伝わるるのだろうか?
それは無いな。どんな言葉であれ意味は同じなのだから。
こういうのは人それぞれだから、あまり主張するのも自分でもどうかと思っていたけれど、これは私の最後の言葉になる可能性もあるのだから、せっかくの発信するチャンスを逃してしまうのは勿体ない。
だから大声で言いたい。私を殺すのをやめてくれ。
新型コロナウイルスがどこで発生したとか、そんなことはどうでもいい。
国内のほぼすべての医師へのワクチン接種は終わっているそうだ。
新型コロナウイルスと直接対峙することになる医療従事者への接種は当然のこと。
なのに、医師免許を有する人が一部のデマの発生源だったりして、悲しい。
ワクチン接種を拒む人たちはいろいろな持論があると思う。
まぁ、新型コロナウイルス感染症によって重篤化して病死する事を選ぶか、新型コロナウイルス感染症をある程度予防できるとされているワクチン接種の副反応によって死に至る事を選ぶか。
難しい選択だよね。
でも、考えすぎて脳みそフル稼働させるよりも、接種するかしないかの選択は自由であるべき。
それは権利。
ただ、権利を行使したいのであれば、接種しなかったことによる隔離とか、移動制限とかについて文句を言ってはいけない。
なぜなら、これは権利を行使するための義務だから。
義務を果たさずして権利を振りかざすのはナンセンス。
どうせいつかは病気かケガかわからないけど、死ぬことが決まっているのだし。
人間は致死率100%なのだ。
いつ死んでもおかしくない。
それなら、自分にできる事をしっかり考えて行動し、生き延びる方が懸命だ。
ワクチンを打てば大丈夫でもない。
アンチがアンチでいる理由で、ワクチンを恐ろしいものだと考えるのも相応に理由があるのはわかる。
でもデマだけは信じてほしくない。
接種者の呼気や汗から感染するなどあり得ない。
そういう理由で接種者を拒否している整骨院があるらしい。
そんな事して、接種者がこれからどんどん増えるのに、客がただ減り続けるだけなのに、なぜそんな情報を鵜呑みにしているのか理解できない。
ワクチンを打ったらどうなるか、そんな事は誰にもわからない。
だからこそ、ネットに流れているデマもデマだと言い切れないけれど、ワクチンが安全ではないと言い切ることも出来ないはずだ。
事実ワクチンで感染者が減っている65歳以上の、この結果は一つの答えである事も考えたい。
デマを信じる事ができる純粋な人たちは、ワクチンで感染者が事実減っている事も信じてほしい気がする。
まあ、ここまで書いてたら同じなのだけど。
ワクチン支持者によるワクチンハラスメント。
これはこれで頂けないけれど、ワクチン支持者である私のこんな意見も正直、ワクチンハラスメントに入る事もわかっているつもりだ。
ワクチンばっかりになっちゃったけど、制限された自由というものが存在することも、きちんと理解しておく必要があると思う。
ああ、つかれた。
そろそろ今日は引き上げるか。
そんな22時前のひとときでありました。