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花の都大東京 |
おはようございます。
2016年10月のいわゆる日本の地方に関する考察記事です。
東京から見れば、皆地方出身者という一つのカテゴリーに収まってしまうのではないか思われる大学・大学院・就職における地方出身者ですが、少なくともこれまでの昭和から平成の初期にかけては、大きく東京以北の東北地方(北海道・上越地方含む)とそれ以外の中部圏・中国圏・四国圏・九州沖縄圏に分けられると考えています。
それはなぜでしょうか。
東北地方出身者の場合、仕事や就職先で外へ出るときにその意識の向かう先は自動的に東京圏一択になるのです。
全体のかなりの部分が東京圏へ向かいます。
特に仕事の場合は、東京圏より先の愛知や関西ましてや広島や九州沖縄になど行く必要がありません。
一般的に東京圏で「すべて」揃うのですから。
この「東京圏へ移動することが極めて多い」というのが重要です。
職がないとか希望する学部を擁している大学が近くにないとか、気分を変えたいとか、とにかく居所を移動せざるをえないときに「東京」へ出ることが当たり前なのです。
都会といったら東京。
例えば九州出身者が新幹線のぞみを乗り継いで、神戸に降りるか大阪に降りるか京都か名古屋か静岡か横浜か、と悩む必要はないわけです。
杜の都仙台から、一気に東京になります。
移動する当人だけでなく親や高校の教師も地域社会もこぞっても東京へ行くものだと若者たちに指し示します。
花の都大東京と歌った元フォークソング歌手は鹿児島出身でしたから、若干の選択の幅があったのかもしれません。
1,300年の都奈良京都でもよかったはずなのです。
人間にとって自由に意思決定ができることは良いことでもある反面、辛いことでもあります。
ですが「東京へ出るのが当たり前」という状況では実は不安もたいへん小さくなります。
現実にまわりの友人も東京へ行きますから、ひとりで行ったつもりでも、いつの間にか周りにに地元の人がいるわけです。
特に戦後、高度経済成長期の頃からは一貫して東京へ人が流れていますから親族や親類がいることも多いのです。
東京で結婚することへの抵抗も非常に少なくなります。
その昔の昭和の高度経済成長期の頃というと、集団就職で上野駅に到着するイメージがあります。
上野駅は東北地方からの終着駅でした。
もちろん東海地方からも沢山きたのでしょうが、実は我々の古い記憶はそこから始まっているのかもしれません。
上野発の夜行列車といえば演歌でなくてもイメージはかなり固まりまして、絶対に津軽海峡に向かわなければなりません。
しかしながら、逆に東京駅から東に下る場合、何処で降りるのかによってイメージが違う、言い換えればわかりにくいと感じます。