[00002]死にたくなる病

自殺したくなる病気

芥川龍之介や太宰治、それから三島由紀夫等が言われるように「賢すぎると自殺する」というのは真理なのかもしれません。賢い、というか、自分を突き詰めつづけるその行為が頭の中を蝕む、その結果脳がオーバーヒートして自己破壊衝動に駆られる、そのような感じです。
わたしが京大の法学部を受けようかと思っているときに、ウソかホントか、「あそこは自殺率が日本一高いってよ?」と言われました。あの大学のかの学部は、かつて有名な瀧川教授事件というやつで、国家権力文部省に楯突いて、そして多くの教授が退官届を出して在野に下るという自爆行為、研究者としては自殺行為をやってのけています。学生らもこぞって退学届を提出して、教官たちに続いたといいますから、相当おかしな集団です。そして、そのおかしな歴史を堂々と自慢気に大学学部の歴史として世に投げかけているわけで、この一事をしても、だいぶ頭いっちゃってる集団であるといえるでしょう。

そして、その自殺の統計があるのかわかりませんが、本当なような気もしています。怨霊たちの巣である京都の障気がそうさせるのかもしれませんし、「自分を見つめすぎる」のもあると思います。どうしても、「人の生きる目的とは何か」「自分が存在している意義は」なんてことを考えすぎてしまう。そんなもの、答えはないのに、です。手っ取り早い、てきとうなその場限りの目標や金銭欲名誉欲といったわかりやすいものでは満足できない。そんな適当な目標でとりあえず日々は問題なく生きていけるのに、です。
恋愛や人間関係など人間としての乗り物自体に具体的な悩みがあると、なまじ頭が回るために、問題を分析し過ぎてしまう。そして、絶望してしまう。乗り物としての人体はそんなニュータイプ仕様ではなく、一般平均的なものですから、割と簡単に壊れます。
なので、この問いへの回答は「ある程度本当」だと思います。特に周囲が「なんで死んだのか分からない」と思うときは。

そんなわけでして、わたしは誰かが「友人が自死を選んでしまった─」と苦しんでるときには、「彼や彼女は『自分で死にたいっていう病気』だったんだよ」と伝えるようにしています。
「病気だから、たとえそばにいたあなたでも、何もできなかった。『あのとき自分がもっとああしてあげていれば』『こんなことを言ってあげれば』と考えないでいい」ということです。
わたしも同じ立場のときにそう思い、そして少しだけ救われた言葉です。
(それでもどうしても考えちゃうんですがね)
天上の面倒くさい友人たちよ。わたしに生きる力を貸してください。

以上