[00031]旧国名(令制国)で理解する

「列島」の歴史

我が国日本をより深く理解しようとしたとき、もっとも適当な概念は、旧国名(令制国)です。五畿七道、明治以来は北海道が加わって五畿八道ですが、そもそも、この「道(どう)」って何なんだと思いませんか?新設された北海道や東海道や山陽道くらいは知っていても、東山道や西海道(九州)、さらには南海道(和歌山と淡路島が入っている!)についてはかなりの人が知らないのではないでしょうか。そして、これらの「道」は、さすが「道」というだけあって、原則機内五国(大和山城摂津河内和泉、要するに、灘波や奈良や京都という「都」ということですよ)から放射線状に伸びる駅舎型行政区画になっております。西海道(九州)だけが例外ですが、これは、もともと灘波や大和を中心としたヤマト王権とは別の、「倭」とか言われた別の王朝が北部九州あたりにあって、そこを併合したのちの大和朝廷が、かの地を支配するために、もともと彼の地の別の「都」であったところの大宰府を九州統括の大拠点として大事にした結果です。ということで、八二四年あたりにこの五畿七道が定められたときに、すでに毛外の土地を併合するということを大和朝廷はやっていて、その古来の例にならって、一九〇〇年にあらためて「北海道」を設置したということになるわけです。
このように、列島の歴史はきちんとつながっております。ちなみにわたしは九州島の出身ですから、この歴史的な話をするときには「日本」と「倭」を分けて記載し、全体を指す場合には便利な「列島」という言葉を使います。「日本列島」という場合は、近代以降、すなわち一九〇〇年以降の時代のときにはそう呼びますが、それ以前はあくまで単なる「列島」です。九州は併合、というか一体化されました(ついでに、九州由来の神話や文化も大和朝廷は「拝借」しました)が、琉球と蝦夷地は別の国です。
八二四年時点での当時の人々の意識では、「壱岐」「隠岐」は、大国陸奥と同格の「国」だったのです。そういう主観的な人々の意識が分からなければ、日本、じゃなかった「列島」の歴史を深く理解することはできないと思います。
以上、いつものオタ話でした。ちなみに、廃藩置県以降の都道府県についても、貼っておきます。

さて、九州は古来より西海道と呼ばれておりますが、唯一、道と言いつつ畿内五畿と接しておりません。
これは、もともと九州部分と畿内の大和王権には、別の国が併存していた、という何よりの証拠です。
壱岐とか対馬とか隠岐なんかが、大国陸奥出羽と同格なんです。
このあたり、全九州人に声をかけて大にして言いたいです。二度言いますね。
九州と日本はもともと別の国。