応援だけしたい人たち

応援だけとかいらん

「応援したい応援団」はいらない。必要なのはバッターボックスに立つ勇気。とっとと失敗できる精神力。

特に、みんなのためとか、共生とか、地域起こし的なプロジェクトやっていると、何か「プラットフォームをつくりたい」だの「自分は主体になれないけど応援していきたい」みたいなタイプの人が続々と出てくるんですよね。ものすごくいるんです。応援したい人っていうカテゴリの人たちが。

もちろん最初から否定したり反対するより、まあ、応援くらいあったほうがいいんですが、それでも、そんなこんなで、全員が応援に回ってしまったら、もう終わりなんですよね。

マウンドに誰も立っていなくて、バッターもいない、そんなグラウンドに向かって、観客席から「がんばれー」っていっているだけの応援人しかいないお寒い試合なんて困ったものなのです。試合にならない。何か自己啓発的に「地域にいいことをしたい」だけど「何をやっていいかわからないし、自分でできることとかないから、応援したい」ということだけで、主体者実行者になるという人がいないということは、結局誰も挑戦なんかしないということなんですよね。

こういう人に話をきいていると「応援したいんです」みたいな繰り返しばかりで具体性がなく、結局がんばる自己満足というか、頑張ろう自己啓発なんですよね。何かやらなきゃならないけど、自分でリスクと時間をとってやるのは怖いから誰かを助けている自分というものに満足したり、刺激的な取り組みに関わっていることが自己啓発になると思っていたりするわけです。そんなわけねえだろ。他人の人生覗いて何が得られるっていうんだよ。

そんなんでは本当の意味で挑戦者にとっての応援なんかにならないのです。

すなわち、ここにいる救えない人々は、
○ 主体者にならない「応援したい人」たち
○ ときに牙をむき、掌返しをする応援者たち
○ 本当の意味で実践者にとって応援してもらいたいのは、別の実践者。競合者。協業こそ最大の支援。試合しろ。
○ せめて応援は「買い支え」で行おう。カネくらい出せ。
○ 主体者にならない「応援したい人」たち

っていう認定でOKです。構わず次に行きましょう。
何か応援者といえば聞こえはいいですが、主体者になった時に応援者というのは具体的にじゃなにをやっていくれるのか、と言われると難しい、ていうかやることない。資金を出してくれたり、業務を共にサポートしてくれたりとかを計画的かつしっかりとやってくれればいいわけですが、現実にはそうでもないんですね。

ということで、わたしは、こういう応援だけの連中が湧いてきたら、さっくりなにがしかのカネだけ置いて、「買うから送ってくださいね〜♪」とか言い残してとっとと退散するのです。応援だけで、まともな製品商品サービスが、提供できるかよ。勝負せずにベタオリばっかで、そんなの、勝負してるって言えんのかよ。ってところです。わたしは、別の場所で、とっとと挑んでまた失敗することにしますわ。

いつもの悪態でした。

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