男は男らしく

ジャニーズがどうのこうのというのは
まったく興味がないのだけど、

『あなたもなにかあったんですか??』

と言わんばかりのマスコミが、
タレントを追いかけ、

『我々には知る権利がありますから!』と主張する様子は
とても醜悪だと感じています。

そのような権利を主張できることが
この国の自由というものの本質から
ずれていないというのであるならば

『その自由』というものの、
質は悪い。粗悪品じゃありませんか。

国民全員が粗悪な意識を持たされていると思えば、

これは・・・・やはり日本国は
危ういと思わざるを得ない。

さて、
自由というものは、

人間として当然、控えるべきことがわかっていることが
前提ででなければいけません。

『なぜ?』

なぜ、じゃない。ダメなものはダメ。
人間だから、だよ。

そういうことを言い切れる、
嫌われることを恐れない大人が減れば、
自由はいつしか狂気に変貌するのであります。

老害だ!なんて陰口を叩かれたくないと、
ものわかりよく同調して、
仲良くやろうとする。

そんな事なかれ主義の、
談合社会のような生き方なんて
まっぴらごめん。
安芸高田市かよ、と。(笑)

最近よく感じます。

らしくある、ということは、
大切なことであると。

子どもは子どもらしく、
大人は大人らしく、

男は男らしく、
女は女らしく、

上司は上司らしく、
部下は部下らしく、

子は子らしく、
親は親らしく、

国民は国民らしく、
頭領は頭領らしく、

そしてその『らしさ』がなにかと、
他人に問うなかれ。

それは自分で感じ取って、
自分『らしい』解釈であることも必要なのです。

みんなが同じになって、
平均化されることが平和ではなく、

違うものがバランスを取り合って、
平均化されることが平和。

みんな違っていて、
ぶつかっていいのであります。

お利口さんばかりになっちまうと、
世の中が面白くなくなっちまいますからねぇ。

僕も55歳らしく、
見識と思慮深さを持ち、
硬さの取れたユーモアのある人間で
ありたいといつも願っています。

それが僕の思っている『らしさ』。

他人軸で変えようとしない、
僕らしさというものです。

藤沢周平の名作、『へそまがり新左』。
ぜひ読んでみてください。

爽やかな短編です。