7つの県でなぜ九州というのかの仮説を立てたので披露します(2014/03/18)

震災の翌日に新幹線も開通しました

おはようございます。

2014年3月の筆者提供の「九州」のいわれに関するブログ配信記事です。

九州出身の筆者です。

さて先日「7つの県なのになぜ九州と呼ぶのか」という疑問を小学生より問われ、改めて調査いたしましたのでその結果をここに報告させていただきます。

なおこの記事において定義する九州には沖縄(旧名琉球)は含まないものとさせていただきますのでどうぞご了承下さい。

まず四国は旧国名も讃岐、阿波、土佐、伊予の4つであり、それぞれ今は香川、徳島、高知、愛媛と名前を変えているものの4つは変わりませんのでわかりやすいです。

これを一旦、「旧国説」と呼ぶことにします。

この旧国説を九州に当てはめますと、筑前、筑後、豊前、豊後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩の9つとなりますので、これで九州と呼ぶというのはかなり有力な説であると思われます。

しかしながら、面倒なことに四国と違って、現在の九州の各県の範囲と上記の旧国名は一致していません。

すなわち現在の福岡県は筑前筑後と豊前の一部、大分県は豊前の一部と豊後の一部、大隅薩摩は合わせて鹿児島県といった風になっています。

旧国名とともに、旧州名というものもあります

また、旧国名を言うならば、前後で別れる前の「州」で呼ぶべきという意見もあります。

同じく便宜的に「旧州説」と名づけます。

これに従うとまず、筑前筑後は「筑州」、豊前豊後は「豊州」、肥前肥後は「肥州」となり、6つの旧国名が3つの州に統合されてしまいます。

そして、大隅国は隅州、薩摩国は薩州と呼ばれます。

これで5州です。

続いて、日本神話によれば日向国はもともと天照大御神(あまてらすおおみかみ)の天孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと、この曾孫が初代神武天皇)が天下ったところで、この国は日州とも向州とも呼ばれます。

2つの読み方があるので強引に2つと数えてしまうと7州となります。

あと2州、どこから持ってくればよいのでしょうか。

そこで登場するのが壱岐国(壱州)と対馬国(対州)の2つです。

もともと大陸との通商交渉窓口だったこの2島は、今の我々の感覚では考えられないほどの戦略上の重要性を持った歴史の舞台だったのでしょう。

こうして、9州が揃いました。

ちなみに、大隅国に統合される前に、種子島屋久島を一緒にした多禰国(たねのくに)というのが律令制時代にはあったそうなので、付記しておきます。

昔の「島」は今よりはるかに戦略的に重要だった

まとめますと、旧国説では「九州本島」のみに着目していますが、旧州説では「九州本島と近くの諸島(沖縄(琉球)は除く)を含む」というところが違います。

なお種子島屋久島といった諸島もありますが、これは大隅国の一部となります(実は、その昔は多禰国(たねのくに)という独立した国であったのですが、大隅国に編入されました)。

筆者は、昔の日本の地政学的位置づけからすれば、壱岐国や対馬国や多禰国のほうが日本本土よりもよほど先進地域だったであろうことを踏まえ、また筆者自身も天草諸島という「島」出身であることから、「旧州説」を取りたいと考えるに至りました。

考えれば「四国」は国ですが、九州は「州」なのです。

皆さん、グアムやサイパン、ハワイやモルディブにバリ島もいいですが、まずは壱岐対馬、奄美大島に五島列島などなどに行って見られてはいかがでしょうか。

お勧めです。

これらどの島々にも実はまだ行ったことのないですが島好きの筆者からは以上です。

(平成26年3月18日 最終更新:平成28年3月18日 金曜日)

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