(2018/08/08)映画「シン・ゴジラ」を見ながら映画の漫画との垣根の喪失というテーゼについて考えた話です

おはようございます。

2018年8月の邦画に関する配信記事です。

2016年映画「シン・ゴジラ」を改めて見ました。

Amazonのプライム会員のサービスで見放題のラインナップに、ついにこの映画も含まれることになったのを偶然PC画面で見てしまったので、時間を作って視聴し堪能しました。

映画館で3回(うち1回は4DX)、DVDなどになってから数回、いずれも2016年~2017年に視聴しましたが、2018年の8月になって改めて見ても新しい気づきがありました。

一番の気づきは、この映画は漫画やテロップ付きバラエティ番組に慣れた現代日本人にとって、非常に心地よい理解が図られるものである映画であるという「説」です。

台詞を音声で話すより、文字を目で追う方が数倍の速度で頭に入ってきます、というのは周知の事実です。

しかしながら、それでも音声での演説がなくならないのは、それは、演説が身振り手振り、声の抑揚といった、「文字情報以外」で伝える部分が過半を占めており、例えばかのヒットラーのナチス党大会のニュルンベルク演説を動画サイトなりで見ることができますが、ドイツ語がそんなにわからなくてもなんとなく現場の熱気は伝わってくるということからもわかることだと思います。

しかしながら、単なる情報として処理を求める場合、台詞はより早口になり、登場人物の紹介や参照法令や自衛隊機や特殊車両や職位については、一瞬のテロップで済ますという「手法」が使われ、2時間という映画時間いっぱいいっぱいを使って、このシン・ゴジラ登場の背景や影響について、目いっぱいの情報を詰め込んだ映画に仕上がっています。

登場人物も非常に多く、エキストラ含めれば日本映画史上随一ではないでしょうか。

ゴジラ自体の動きも、能楽師(狂言師)の野村萬斎さん(この方は2020年東京オリンピックの総演出にこの度就任とのこと、おめでとうございます)のモーションキャプチャーだそうですが、ここまで細部にわたって作りこまれたゴジラ世界を「表現」するには、スターウォーズで採用されている、映画の最初にテロップ文字で「序章」「背景」を流すあのやり方と同じく、視聴者を引き付ける方法として有用だと思ったりしました。

これから、映画や動画のセリフも、目で追う時代になるような気がします。

そこで、このシン・ゴジラも、別途映画の全セリフを取り寄せて、それを横に見ながら再度視聴してみますと、非常に理解が深まりました。

これぞ求めていた映画の深読みなのかもしれません。

耳では今一つうまく何度聞いても聞き取れなかったセリフも、言語化しているので助かりました。

例を挙げると、一方主人公の「君の~~~には助けられた、例を言う」のどうしても聞きとれなかった~の部分が、「キャラ」という非常にスラングな普通の言葉だったことを知って、意外に安堵するといった具合です。

ストーリー漫画というものを生み出し、それを世界中に広め、そして映画の世界でも迫力の映像だけではなく、ストーリーを極限まで早口で語らせ物語の世界観に深みと現実感を出していく、こうした映画の取り組みの先に、全セリフの日本語字幕、というものがあるような気がしました。

そんな感じで夜中を過ごし、そして禁断のカップラーメンに手を付けてしまった積み深い筆者からの回顧録は以上です。

(2018年8月8日 水曜日)

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