結果は運、挑戦は意志

侍ハードラーとして名を馳せた為末大さんは、現役時代以上に、引退してからの言葉に力のある珍しい方です。

引用しつつ、挑戦することの大切さを書きます。

冬季北京オリンピックも終わりましたが、あらためて感じたのは日本選手のインタビューの特異さです。

成績が悪かった時に他国の選手が自分なりの敗戦理由と次の目標を語るのに比べ、涙を流しながら「期待に応えられずに申し訳なかった」と謝罪し続ける選手を見ていて辛いものです。

日本の選手のインタビューは似通っていますが、その原因の一つにこの謝罪の要求というのがあるのではないかと思っています。

負けた原因を分析したら言い訳と批判され、前向きに表現すれば負けたのにヘラヘラしていると言われる。選手にとっては今後も静謐に平穏に競技に集中することが一番大事だから、変なことで社会から反感を買いたくない。

結局、一番問題が起きにくい謝罪一辺倒の受け答えになっているのではないでしょうか。

ここに、謝罪を要求することの弊害が2つあります。

1つは、五輪という舞台で選手が感じたことは、競技を終えた直後の瞬間でその人にしか語れません。

謝罪だらけになってしまうと、その貴重な言葉にふたをしてしまう可能性があります。勝ち負けを超えて、世界の頂点の舞台で感じたことや、何をトライしていたのかを聞けるのは、社会にとって大きな学びになります。

もう1つは、個々の挑戦心がなくなってしまうことです。彼らは長い間トレーニングをしてきて、挑戦をし、勝ち抜いて代表になった選手たちです。

その選手たちの挑戦の部分を評価しないで、最後の結果だけで批判をする。そうなれば子供も大人も社会も、挑戦をすること自体をやめていってしまうのではないでしょうか。

批判する方が挑戦するより遥かに楽なので、本当は批判するのがさもしく浅ましく、愚かでクソなことだと教育すべきなのです。

本当は、多くの人は挑戦自体が素晴らしいし、一生懸命やってきたのは自分なんだから、自分の気持ちを素直に出せばいいと感じているのではないでしょうか。

挑戦できる人たちが自分らしく挑戦をしていかないと生産性も高まらず、社会は衰退していきます。

結果は運ですが、挑戦は意思です。

挑戦をするという意思を持って厳しいトレーニングをし、はるかな高みを目指せるその場に立った。

結果の前にそのことをまず尊敬し、そこから姿勢を学ぼうとしたいと思います。

以上