一杯の味噌汁

「こ、これは⋯ 」
朝食に出された何気ない 1 杯の味噌汁を見て、田中角栄氏は言葉を失った。

1972年の9月。日中友好正常化をかけて、角栄氏は中国へ来ていた。

中国はまだとても暑く
暑がりの角栄氏はうんざりしていたが、ホテルに着くと
「いやー、涼しくて天国だ」
と、喜んだ。

ホテルの部屋は角栄氏が好む
17度に室温が保たれていて、
冷たいおしぼりと氷の入ったお水まで用意されていた。

( これは、目白の自宅と
同じことしてくれているのか )
角栄氏はハッとする。

見ると部屋には
角栄氏の好物の台湾バナナと
木村屋のあんぱんまで
用意されていた。

「これも、
心づくしというわけか。
おい、俺たちは大変な所へ
来てしまったな」

角栄氏は
秘書の早坂氏に、
そう語ったと言う。

そして、その翌朝。
1杯の味噌汁が角栄氏の心を
心から驚かせる。
「おい、これは⋯
この味噌汁は
うちの味噌汁じゃねーか!」
角栄氏はこの時、中国側の徹底的なもてなしぶりに
ヒヤッとしたとも言う。

なぜなら角栄氏のうちの味噌汁は古い味噌屋からとり寄せている特別な味噌と母親からの直伝の出汁での味付けなので
まさか、中国で同じものを出してくるとは夢にも思わなかったからだ。

中国側はこの会談の成功にかけて、入念に調査をして
秘書たちや出入りの人々から
細かく必要なことを聞き出し
この訪問を心から歓迎するということを伝えるために
思いつく限りのことをしたのだと言う。

角栄氏は
( 中国ほどの巨大な国土なら
山海の珍味を山のように用意することもできただろうに、
わざわざ俺のうちの味噌汁を
再現してみせるなんて、
オマケに米は新潟のコシヒカリだ。全く敵わん)
もてなしの心のレベルが違う、と驚いと共にこの会談にかける
周恩来首相の意気込みを
強く感じた。

この時のことを、秘書の
早坂氏は
「オヤジ( 角栄氏 )は、中国の
やり方に驚いていましたが
実はオヤジのやり方そのものなんですよ。
相手を知り、相手の心に沿うようにもてなし感動させて
人の心をつかむ」
周恩来首相と田中角栄首相には響きあうものがあったのだろうと語った。

この会談は成功に終わり
ようやく米ソの冷戦下にあった
日中は独自に外交を始めるきっかけを掴んだ。

当時の角栄氏は
「中国に大金をつぎ込んで
鉄道や道路を整備したら
どんどん発展して
観光や産業が伸びる。
そうなったら莫大なお釣りが来るんだよ」と
話していたともいい、
投資に長けた先見の明を
ここでも見せていたとも言う。

− まいねぇ。さん(@maimai0049)がポストしました