(2020/01/11)2020年の筆者の抱負を仮決めしました「自分や周りの時間や資源を意識して都度見なおす」

新年会の様子

おはようございます。

2020年1月の新年の抱負をとりあえず、仮決めしましたという記事です。

今年、2020年は「自分や周りの時間や資源を意識して都度見なおす」ことにします。

意味が分からない部分を極力切り落としておりますので、しっくりした言い方ではないかもしれませんが、とりあえずはこのようなイメージを持っています。

ちなみに、昨年2019年の抱負は、「心と身体を整える」でした。

これは、特に2019年の後半にかけてはかなりうまくいったのではないかと自画自賛しています。

今まで生きてきた中で、45歳になってようやく、心身を整えるための習慣化というのができてきたように感じますし、不要なものを手放すということにもつながった2019年(特に後半)でした。

資産でも情報でも、手放したほうが実は物事がうまく進む、自分が抱えているよりも、思い切って生煮えのままでも外に出したりシェアしてしまうほうが、より世の中がうまく回るようなそのような感覚を覚えました。

完璧に仕上げてから世に出すのではなく、システム開発でいうところのスパイラル開発のように、検討や準備行為含めてすべて見える化、プロジェクト化、案件化してしまえば、無駄な検討をした、という堂々巡りによる自己否定に陥らずに済みます。

行き過ぎた完ぺき主義にとらわれるよりも、流れの中でいいものを見つけていこうという考え方です。

この、心を整えるというのは、特によくない感情が沸いたときに、自分の身体を後ろから眺めるような感覚になり、客観的に自分という個体がこのような揺れを感じるものなのだと客観視できるようになったというのは非常に良い視点でした。

別段冷めているわけではなく、非常に暑苦しく過ごしてきたわけですが、ハートは熱く頭はクールにというのが少しわかったような気がします。

これは、いずれ死ぬ運命にある自己との会話といいますか、このようにすれば、自らの期待値である周囲の正当な「評判」も自然に定まるものであるという感覚ができてきました。

体重は、身長172センチメートルのBMI22である、64キログラムを達成し、高校3年生の卒業時に、25年以上の歳月を経て、またもとに戻ったというのも、非常に大きな要因でした。

これによりまして、頭の頭皮や鼻の周りや太ももなどに、油物を食べたときに出てくるニキビっぽいできものができにくくなり、頭も糖質によるぼーっとした時間が減り、なんだか思考や運動に粘りが出てきたように感じています。

ということで、自らの心身をいったん整える、ということは大体習慣としてできるようになってきたので、2020年はこの先に行こうと考えています。

つまり、外を見渡して、他人の時間や他人の資産に目を向け、自らの時間や資産をどの程度共有できるかということを考えるようになりました。

自分が持っているものでも、自分としては使わないものは、積極的に、その物やサービスを積極的に使ってくれそうな他の主体へ喜んで差し上げる、そのほうが、その物やサービスにとっても本望なはずなのです。

どんな資産でもサービスでも、飼い殺しはよくありません。

具体的には、モノ、サービス、時間、お金、それから自分の時間を大切にするのと同じように他人のモノやサービスや時間や能力を「活かす」ために活動するようにするのが大切です。

これは、仕事の進め方においても完ぺきに応用できるものだと考えておりまして、自分がやらなくてもよい仕事に必要以上にこだわり、余計な責任を負い、その割に周りの評判や感謝が得られない、といった無駄に精神や時間やリソースを消耗するような振る舞いをせず、自分の役割を多くの信頼できる仲間と分担してやったほうが早いし適切だし質が高い、ということを意識するということででしょうか。抱負に掲げた範囲は、「資源を削る、節約する」ということではなく、あくまでも、「意識する」にとどまっているということです。

しかしながら、必要以上に成果や成長や効率を求めるということではなく、気持ちよく物事が進んでいくという実感を味わうことを第一に考えています。

つまり、意識してみたうえで、やはり現状維持が一番だと思えばそれでまったく構わないわけですし、必要以上に成長しなければならないという成長病から自由になるということも含みます。

自分にとって、一番気持ちよいように活動が回るという、よい習慣を続け、悪い習慣からは少しずつ解放されるまたは少なくする(牛丼ドカ食いとか)ことで、行動を抑制し、最も効果的な次の初動が取れる状態に心身を持ってくる、というのが次の新しいことに全力で向かうことができる唯一の「型」を作ることができることになると思っています。

悪い習慣、例えば無理やり毎日3食とるとか、白ご飯をうまいからドカ食いしてしまうとか、スナック菓子を二袋一気食いしてしまうとか、ラーメンといえば必ず替え玉してしまうとか、そういう習慣は、できるだけ分離分割して、今の年齢や活動内容、健康状態などを考慮して、自分の食欲のみに忠実な奴隷ではなく、少し引いた客観的な視点を持ちましょう、ということです。

それから、お金です。

お金は、そんなに必要なものなのでしょうか。

これからの人生の「安心」のために、実は影も形もないものを、人類は発明し、皆で貯めまくっていますが、一体これではお金のために人間があくせく動く、むしろ人間がお金の乗り物になっているのではないかと最近思うようになってきました。

例えば、教育ですが、教育には金がかかるといいますが、そんなことはないわけです。

大学だけが教育機関ではないし、自学しようと思えば、今の時代(昔だって)そこら中に学びの素材は転がっていて、同じものをいわゆる受験産業、教育産業から得ようとすると数百万円かかってしまうような「知見」や「ノウハウ」が、極端な話無料かそれに近い低廉なコストで手に入るという、そのような世の中に間違いなくなってきたと思うのです。

出された問題を解くスキルより、自ら問いを立てて自ら自学して取り組む、そのような態度のほうが必要になってくると考えれば、教育のリソースは無限に広がり、既存の教育機関の在り方は急速に変わってくるとこれは確信しています。

今の教育は、明らかに目的意識の希薄なインプット素材が多すぎます。

もう少し、なぜ必要かをそれぞれの学習者が感得して、個別の指導が行われれば、学習効果の無駄は大幅に削減され、面白いように各人の能力は伸びるでしょう。

このように考えて、2020年をスタートさせています。

この目標や抱負が、2020年の終わりまで続くことを願いながら、一日を大切に過ごしていきたいものです。

こちらからは以上です。

(2020年1月11日 土曜日)

2020/01/11記事の動画解説です

▷次の記事はこちら

(2016/12/31)2017年新年初における抱負を述べますとあり方とやり方ということになります