作業という業務を作る仕事
「仕事の喜び」を得るためには、目の前に与えられた「作業」に真剣に向き合うこと
今、女性経営者として活躍している人から聞いた話をここに掲載します。
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私は学生の時に岩手県滝沢村のガソリンスタンドでアルバイトをしていて、毎日のルーティンとして、軽く濡らした窓拭き用のタオルを各ブースに50枚ずつ畳んで(冬場は凍るから湯たんぽ入りの保温箱に入れる)スタンバイすることから始まるのだが
一ヵ月経ったある日
「お前、成長しないな」
と、副所長に言われた。
丁寧にやっているつもりなのにどういうことだろうと思い、教えを乞うたら
昼に近くのラーメン屋に連れて行ってくれた福所長は私にこう行った。
「4カ所のタオル、一ヵ月前からずーっと同じ時間かかってるよな。たいした優雅な動きでよ。この作業、岩崎は半分の時間でできてるぞ。お前より丁寧なたたみで。岩崎は18歳。お前、19歳。この差はお前が成長しない限り縮まらない。岩崎の作業時間にどれだけ追いつくことができるかどうかは、お前次第。お前がしているのは『仕事』ではなく『作業』だからな。勘違いするなよ。まだ『仕事』のできない人たちの所得を確保するために経営者は時間も金も身も削って『作業』を作るんだぞ。お前がチンタラとタオルをたたむ1時間で俺たちはお前に800円を支払うわけだけど、お前が800円をもらえるこの職場のガソリンスタンドを作るのにいくらかかるかお前は考えたことあるか?」
そんなことを考えたことは無かった。
私は家賃などの生活費や学費を稼ぐためにアルバイトをしていたが、この時給800円の作業を、そしてその作業ができる職場を作ってくれた人がいるから、私が生活していけるのだ。
このことを私は学生生活のスタートで知っていてよかった。
頭でわかっただけだったし、社会に出てからもまだまだ迷惑かけたけど
『仕事』とは、自分で能動的に生み出すものであって
与えられた受動的なものは全て『作業』であると思う。
しかしながら、その与えられた作業をなめておろそかする人は
能動的に『仕事』を作り出すことは決してできない。
『作業』を『仕事』と勘違いする人もそうだ。そうした人は全てが受け身で、自分では一切利益を生み出さないくせに、挙句、給料や報酬をもらっている会社の悪口を言うことすらする。
『仕事』ができる能力が無いから『作業』を与えられているのに、そこすら満足にやろうとしない人は、一体なにならできるんですかと。
搾取だけして生きる輩にロクな人間はいない。
『作業』をきちんとやり、毎日少しずつペースを上げる
それが数字だとなおわかりやすい。
今日はおむすびシールを10分で50枚貼ったぞ。
明日は50枚越えしよう。
そのタイムを縮めるためには配置が重要やな、と、自分で位置やシールをどう剥がすかを工夫する。
こうして『作業』への向き合いをして自身のスキルアップを能動的にできる人は
将来『仕事』を作れる人になる。
今日もシール50枚
明日もシール50枚
明後日もシール50枚
という人は
自分がいい歳になっても
ずっと与えられる側にいようとするが
外見は確実に年老いていくので
なんのスキルも知恵も哲学も無く、自分より若い者を食わせる力も技量も懐もなく、若者からも全く尊敬されない老人まっしぐらということだ。
別にそれでもいいよ、という人は、与えられっぱなしの人生で終始終わっていいと思うけど
私は自分がカッコいいな、と思う大人に少しでも近づきたいと思うし
50歳は大概オトナだから、自分もまずは、まだ『仕事』を作り出すまでいかない人の『作業』ができる場所を作り出したいと思っている。
少しでも。自分がやってきてもらったわけだから。
本当は一日中パチンコしたりYouTubeでエガちゃんねるを観て、ゴロゴロしていたいけど
自分が社会にしてきてもらったことを考えたらまあそうも言ってられないよね、50歳のおばちゃんはさ。
しかしずっと『作業』に甘んじていられても困る。どんどん下から、『作業』が必要な人が生まれくるからだ。後がつかえていますよ。
だから大人としては『作業』をきちんとやること、スキルアップを常に心がけることで、『仕事』ができる大人にならないと、循環が崩れてしまう。
例えばガソリンスタンドにいる時
私はオイル交換の『作業』を率先してやった。
オイル交換の『作業』を洗練させてスキルをアップすれば、車社会の間は食いっぱぐれない。
友人達のオイル交換をすると、ご飯を奢ってくれたりした。
将来、
「オイル交換専門店」を作ってもいいなとさえ思った。
今、三代目ときやま商店(港区外苑前)では、おむすびやお弁当を作って売っている。
最近、20代の方々が入りはじめてくれているが
たかがおむすびと侮らないで欲しい。
ここで、おむすびやお弁当の達人になったら、全国どこでも店をやることができる。人の数だけ胃袋があるからだ。
ただ漫然と、時給を稼ぎたいと思って『作業』をすると『仕事』のできない人間になる。これは間違いの無い事実なのだ。
50歳になって、なんのスキルもない、あったとして自分で店をはじめる方法もわからない、
そういう人は、今までの職場での『作業』を完全になめてきている。
そうした人に限って
「好きなことを仕事にしたい」と夢見がちなことをほざく。ネバーランドから出てくるな。
イーロンマスクが、このままでは日本が消滅するとTwitterで言っていた。
とっくにそんな兆しは見えているよね。
一番身近な食を大事にしないで健康寿命も短くなり
人の金でずっと楽して生きていこうという搾取側の大人が増える一方。
そりゃあ生産量は下がるのだもの。
ジリ貧だぜ、日本。
そんで、作業怠る人種は
必ずと言っていいほど、自炊してない。
人に褒められたいとか、誰かに見てもらいたくてのために料理するエネルギーバンパイヤは論外。
自分で食べるものを自分のために自分で作るのだよ。誰が見てなくても。
それが能動的に生きることの第一歩だ。
だから私は、能動的に生きるために自炊力が大事と思っている。
日本が消滅しないためにも、能動的に生きる次世代を増やすためにね。
ということで、一緒に住んでいる女子大生が
なにやら自分が食べるなにかを作っているところを隠し撮り。
日本の未来は明るい。
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作業を舐めてはならないが、作業に逃げてもダメ
作業をなめてかかる奴は、いつまでたっても作業を業務として与えられることでしか養ってもらえず、その養ってもらっているというありがたみを態度で示すこともできず、作業効率や能率をアップさせることもできず、そして、体力知力能力の低下とともに、若い人たちにその作業員としての場すら奪われてゆく。その当たり前の循環の中で、自分の立ち位置と昇る先と見据えて、作業という業務自体をつくりだすことのできる「仕事」を担える人になることが目標なのです。
ということで、どんな作業でも、それが賃金や報酬につながっているということであるならば、偉そうに文句を垂れる前にやるべきだし、その作業内容をどれだけ正確に提供できるか、常に改善の手を緩めないようにする、これは、職業人として当たり前の考え方であり、決して、作業を与えてもらっている会社だけのためでもなく、世間体のためでもなく、何よりも自分のためなんですよ、と自分に言うために、ここに書いておきます。
以上