弔辞

勝久さん
こうやって手紙を書くのはおそらく2回目だと思います。最初は二つある家のうちの一つを売ったほうがいいんじゃないかという内容で、それは手紙というよりビジネス提案書のようなものだったし、それも奥さんの愛さん経由だったのであんまりそれっぽくありませんでしたが、それを受けて一度ご夫婦と当職とでオンライン会議をやったのを昨日のことのように思い出します。
あの時は、わたしもなんかの用で確か取引先のところに歩いて向かうついでで、手にスマホを持ちながらしゃべりながら歩くという、まさにコロナならではのものでした。大体、閉じた部屋で会議するのに人数制限とかいうふざけた意味あるのか的なルールのなか、だったら屋外で散歩しながらしゃべればいいじゃん、という反骨心で勝手にやっていたのでした。受けていただいてありがとうございました。少しの時間でしたけど楽しかったです。
そもそも、鈴木愛さんとしゃべるようになったのは、本を読みあう読書会に愛さんが来た、そして最初に主催していた人がいなくなって、それで本を読まない読書会にシフトして2年くらいやっていたというものです。コロナ前からだから3年ですね。本を読まない、というのは嘘で、フランクリン・コヴィーの七つの習慣という世界的名著をわたしが腐す、毒舌でぶった切る、こんなの日本じゃ通用しねえよ、みたいな話に最後まで愛さんがくっついてきたからでして、あなたの奥さんにはとても感謝しております。
そんなこんなですが、そもそも愛さんが子供3人育てながら、それでも自分で何かしらの事業をしたい、サラリーマンじゃいやだから、というような理由で個人事業主として創業して、その創業前にも変なコンサルタントにつかまったりしていろいろお金を溶かした、というか金を貢ぎこんだ、そんなのも笑って許して好きにやらせていた勝久さん、あなたはわれわれ秘密結社恐妻同盟の盟主として、多くの会員の尊敬を集めていたのです。妻のやりたいことを否定せず、できるだけ安全網を張りながら、時々やさしくアドバイスを出して、結果には特にコミットしない、そういう感じで見守ってくれたのは非常にありがたかったです。おかげさまで、勝久さんが旅立った後、愛さんはわたしなどが思った以上に成長して、仕事のほうもなんか軸をもって再スタートしているようです。
3人のお子さんも、リアルにわたしが見たのは三番目だけではありますけど、しっかり自分の人生を自分でコントロールできるようになっているように感じました。なので、4人とも特に心配はなく、おそらくそれぞれの普通を貫いて、己の人生を全うするでしょう。そこは請け負います。さて、勝久さんにおかれましては、わたしは変な妻を持つもの同士として、苦労とか大変なところとか面白いところとか、もっと話し合いたかったところです。わたしより少し年上であって、あれだけ妻に自由にやらせつつ、しっかり経済的な面でも家族を切り盛りするというのは並大抵のことではないと思います。車の部品メーカーの研究者として、職場での評判も上々の方だったと確信します。家が売れたらわたしの好きな奈良の古墳でも見て、杯を重ねて語らいたかったものです。この世ではかなわないことにはなりましたが、そちら側でもしばらくお仲間と一緒に楽しくやられていると思いますので、そちらからもう少し我々下界のものが必死に生きるさまをご覧ください。わずかな間ではありましたが、お知り合いになることができまして、わたしの人生も大変豊かになりました。今後も、またいろいろ報告させていただきますので、末永く、お見守りください。
ご縁をいただきましたことに感謝します。安らかにお休みください。
以上