隠れキリシタン

天草島原の乱

わたしは言いたいことを言い、リスクをとって勝負するのが大好きなのですが、どうやら連綿と流れるご先祖様の血のなせる業のようです。

わたし、本家が熊本天草でして。天草島原の乱で大量に切支丹が死んだ後に、そこを治めた名主の末裔です。
ということで、こっそりと十字架刻んだ壺とか、いろいろ見たことあります。
当時、幕府には、なんかまじないしてる人もいるみたいだけどまじないだからヨシ!とか言って誤魔化していたらしいです。
さらに先祖を辿ると、長野県上田に至り、ともに武田勝頼を最後まで支えて徳川家に睨まれた真田家に従い大阪夏の陣で負けて西に逃げに逃げて、天草島まで落ち延び土着したらしいです。そこで、元の名を捨てて故地の上田を名乗るようになったとのこと。ちょうど土着して農民になるし、田んぼでいいだろうと。
司馬遼太郎街道をゆく、第17巻に書いてあります。
マジです。

なお、写真は、国登録有形文化財である京都の町屋で行われるお茶会に参加してきたときに撮ったものと伝わりますw
築100年を越える町屋の中庭には、苔むした”つくばいと灯籠”がありました。

この小さな灯籠の足元を見ていただきたい。
お地蔵さんのようなデザインが彫り込まれている。
実は、これは、イエスキリストであるようだ…
隠れキリシタンの紋様を、
100年前の京町屋の建築に取り入れている風流。

民度というか歴史認識の高い注文建築の名残りに出会って…
ますます、金太郎飴な都市開発とか不動産開発のまちづくり、を憂うわけです。