母の日
2024年、令和6年5月12日(日)。母の日。祝日ではないですが、母の日として世界的に広く知られる5月の第二日曜日です。世界中のお母さんありがとう。
わたしは先年母を亡くしておりますので、直接の感謝の対象は天上というか黄泉の国におられるわけですが、子供達の母にあたる妻やその母に改めて感謝いたします。
日本では、1937年(昭和12年)5月8日に、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催され、1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に催された、とあります。
そして、母の日に母親が健在の場合は赤色、鬼籍に入っている場合は白色、それぞれのカーネーションを贈る習慣が広く知られます。新卒の社会人は時期的に初任給の支給と重なるので、初任給でプレゼントを購入することも多いです。
5月5日のこどもの日は、国民の祝日に関する法律第2条で「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること」を趣旨と定めます。
筆者の小学校の時から仲が良かったN君は、お母さんを小さい時に亡くした(離婚したのもしれないが詳しくは不明)ので、白いカーネーションね、みたいな話が普通にクラス内でされていたわけです。
そんな昭和末期の日常風景も、令和の平等原理主義の人たちから見れば、信じられない、ということになるのでしょうね。お母さんはどこにいても、失くなっても天上にいても、子供たちのことを見ているというのに。もののあはれや人の気持ちのわからない批判だらけのうるさい言辞や論説が増えたもんだと自身の発表の場で嫌味を言っておきます。今改めて母を失った自分の境遇を眺めて、当時のN君の心境にようやく近づけたのかもしれません。
息子が先に逝ってしまい、悲しく静かに過ごすお母さまもいらっしゃいます。わたしの大学端艇部の親友水谷は2006年に慣れ親しんだ研究の地、京都吉田山の奥で自ら命を絶ったわけですが、以来、お母様は一切の繰り言を言わず静かに過ごしております。ここにも芯の強い母親の姿を見ることができます。
書き始めると、最初に書こうと思ったこととは別のことが想起され、寄り道の多くなるものです。
勝負の予備試験論文試験日まであと117日。100日後に死ぬワニ、みたいな感じですが、悔いなくその日を迎えるべく、爪を研ぎ自ら追い込んでいきたいと思います。
ネットは1日60分まで(これ書くのに10分使いました)。
以上