「もの」の世界
もの哀しい
日本人のキーワードは①非分離、②述語制、③場所。それら全てを包含している真ん中にあるのが、「もの」。日本人は、もの哀しいとかものものしい、とかものの怪とかいいますよね。日本人の本質、もの。これに迫ってみましょう。
①非分離
客体を完全に分けてしまうと分離され弾き合わない。一方結合してしまうと奏でない。笛は唇と笛がギリギリの接着と分離を間断なく繰り返してえも言われぬ音色を発します。この間断なく繰り返す非分離の状態が重要。
②述語制
日本語には主語は表に出ませんありません。息子がいます。富士山が見えます。の息子や富士山は、全く英語やフランス語における主語ではありません。存在の対象です。本当の主語は言わずもがな、なのです。これを述語制、と言います。
③場所
日本においては、場所の観点が重要です。六花亭のホワイトチョコレートは北海道だし、辛子明太子は博多のものなのです。同じもの、のなかに場所という磁力がついて回る、そのようにものを物理的なモノとは感じない、そのように日本に住む人はものを感じて生きています。カールとか、そんな駄菓子についてすら、関西とか西日本とかいった場所の感覚を持つのが日本人です。まちづくり、と言ったときには必ず地理的地方概念と一緒に我々は想起するのです。砂漠にいきなりノリで都市を作るドバイやシアトルやシリコンバレーなどとは違うのです。だから都市論、都市間競争にならない。
①②③を包含する「もの」
全てを包含する概念、それが、「もの」という哲学的感覚です。もの哀しい、ものづくり、ものがたり。ものものしい。ものの怪姫。米、卵、味噌、酒。これら全てが土着のものなのです。とりあえず以上。