ならぬことはならぬという教えが息づく會津という街を訪ねてみました

2014年8月の記事です。
熱い夏が続きます。
最近小さな虫や蚊にモテモテで困っています、九州ビルメン業の筆者ですこんにちは。
2014年の8月、突然ですが會津若松にやってまいりました。
八重の桜の会津です。さる研修プログラムの一環で初めて訪れることができました。大変ラッキーかつ楽しいです。
しかし博多から8時間超の長旅です。筆者は荷物検査やシートベルトが好きではないので、全て陸路の新幹線を選択しました。ビルメンテナンス業に欠かせない安全靴のまま飛行機の安全検査ゲートをくぐると確実に警報が鳴り係員に余計な緊張を強いてしまいます。
靴までスキャンに通す手間を考え、また交通機関乗り換えの面倒さを考えれば、少々の時間超過は大したことないとの判断です。
博多から東京、そして郡山まで山陽東海道東北新幹線で、郡山からさらに在来線で1時間強、ようやく會津若松に到着することができました。
聞きしに勝る會津の文化
いうまでもなく筆者は九州の人間、しかも長州山口県の向かいの北九州八幡であり、加えてあろうことか先週土佐高知に行ってきたなどという、會津の人から見ればもろに西軍ゆかりのものになります。
顔が黒いのは隠しようもないので、とりあえず財布の中くらいは豊前中津の諭吉さんではなく、磐梯山猪苗代ゆかりの野口英世でバッチリ揃えておきました(いつものことかもしれませんが…)。
さて会津若松に降り立ちましたら、真っ先に飛び込んできたのが「ならぬことはならぬ」でした。そのほか街の至る所に標語やら看板やら碑文やらがあり、街全体が学校のように見えてきます。
會津者は頑固といいますが、まさに生まれ落ちてからの什(じゅう)の教えが息づいているのです。鶴ヶ城や稽古堂など、訪ねておきたい場所を歩き回る中、いろいろ人にも尋ねましたが皆さん親切でした。大河ドラマ@八重の桜のポスターを見ながら、京都にもゆかりのあるという洒落たカフェで食事もできました。
会津藩主松平容保は幕府の絶大な信用のもと、幕末の政争の場であった京都を抑える京都守護職という激務につきます。労多くして益なし、しかも倒幕勢力の恨みを一身に買うという厳しい役回りですが、文句の一つもなく職責を果たします。
この気風は今もこの會津の地に流れていて、お城や街の整備のさまを拝するに、人の教育の大切さを改めて痛感するような気がしました。
人は死んでも精神は滅びず、というところです。
…それではまた8時間かけて福岡に戻ります。
教育的指導を受けてきたことでは負けない筆者からは以上です。
(平成26年8月9日 土曜日 最終更新:平成28年8月9日 火曜日)

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