なぜ電話が嫌いなのか考えてみた

筆者は電話が嫌いです。

今日はこの点、自分はなぜ電話が嫌いなのか考えてみました。

電話は嫌いですが、別に時間を決めて電話システムを使って打ち合わせをしたり会議をしたり意思疎通をしたり交渉に臨んだりすることは、そんなに嫌いではありません。

となると、電話が嫌い、というのは、いつ誰からかかってくるのかわからない不意打ちであるということになりそうです。

筆者もサラリーマンをそれこそ数十年やってきましたから、昭和の頃から平成の頃にかけて、かかってくる電話に出る、取り次ぐ、いない、伝言メモを書く、そのメモをかかってきた人の固定電話に置く、というのをひたすら繰り返すお作法をやっていました。

しかし、折返し電話をかけても、相手がいない場合も多いのです。

そのうち、携帯電話というものが普及しまして、電話の取次ぎという業務は急速に減っていくことになりましたが、それでも、電話というものが誰からいつかかってくるものかわからない、不意打ち品であることは間違いないわけです。

ハハキトク的な重大なことならば、絶対に伝えなければならないことですから、何百回コールしても、本人に伝えるべきですが、別段その時じゃなくてもいい用件をわざわざ電話する必要もないわけです。

こう考える平成生まれと、相変わらずの昭和生まれとで、大きな断絶が生まれたとわたしは考えます。

そして、電子メールの普及です。

しかしながら、電子メールは、あくまで紙の手紙やビジネスレターを電子化したものに過ぎず、メールを送ったよと電話してくる輩があとを絶たなかったので、平成生まれにはどうにも遠慮されていたところにSNSやチャット機能が登場しました。

これだと、同じ相手との会話が時系列的に落語の合いの手のように続くので、いちいち手紙形式にて拝啓、ますますご清祥のこととお慶び申し上げなくても良くなりました。

ですが、そもそも、ある人が、その話題にふさわしい、利害関係を有する、詳しい人かどうか、チャットに招いてもいいのか、ここが考えどころです。

ということで、一周回って、「時間を決めて電話会議をする」というZoomなる方法でまとまってきて、今ここ、という状況なのだろうと思っています。

Zoomで顔を出すか出さないかは、それこそ自由なので、顔を出さなかった場合は単に電話になるだけなのですが、耳に当てて音声を聞き取るものだという先入観に支配されている我々昭和生まれとは違って、そもそも電話を耳に当ててきたことがない平成以降生まれの世代は、空中に向かって、または画面に向かって声を発することにまったく抵抗がありません。

ということで、電話は不意打ちという意味においては忌避スべきものであるけれども、電話それ自体がわるいわけではない、という結論になりそうです。

以上