職人
これだけインターネットが普及しているのに、職人(熟練労働者)が職を失わないのはなぜですか。シンプルにおこたえします。どこの誰がインターネットの知識だけで、職人を超える能力を得ましたか?まあ、昔からどんな分野でも「攻略法」的なものは教えられます。けど、スマホ見てたらイチローや大谷翔平になれるんでしょうか?───────例えば代表的なものは「参考書」です。受験のノウハウはあふれています。でもなぜか「塾講師」はなくなりません。参考書を一からまともに読み解くだけですよ?隠されてもいません。なんで塾講師はなくならないんだと思いますか。────────私は男性女性問わず「モテる方法」について教えることができます。公開されている情報だけ守ってても、一定レベルはモテます。でもその一定レベルにすら行けない人たちを山ほど見ています。風呂入ってよくシャツを着替えて清潔にして、習慣作って早起きして掃除洗濯して整える、それだけですよ?なぜか。テクニック論で言えば全て隠されていません。しかし技術を「利用する」には思考法のパラダイムシフトが求められる。ここに帰します。────────自分のうちにある常識を組み替えないと、職人の能力は得られません。技法を知っても、技法を使いこなすには膨大な手間と期間を要する反復練習が必要なのです。バットの振り方を知ったらイチロー氏になれますか?ボールの投げ方を知ったら大谷翔平氏になれますか?なれません。アホでも分かりますよね。方法論だけ知ったところで全く足りない。それを自分の身に染み込ませる反復練習が、基礎能力の向上が、それを身につける持続した熱意こそが必要なのです。スポーツでも勉強でも演劇でも何でも変わりません。大半の人はその「熱意」をもてない。反復基礎修練できない。習慣にできない。実践できないのです。一部の熱意あふれるマインドセットができている、狂った人だけが職人に近づけます。そしてそういう人たちは皆職人さんの凄さがわかるようになるため、彼らにこれ以上ない敬意を払います。技術なんて専門家の初歩の初歩、入口にしかすぎません。刀を手に入れたら剣豪や剣聖に化けるわけじゃありません。技術を自分のものとし、そして技術や技法、知識を「自在に使いこなせることのできる人」。これを人は職人と呼び、敬意を払い、節度を持って接してきました。職人がやってくれたサービスや製品商品にカネ払わないのは、非常にさもしい振る舞いです。