大江健三郎氏逝去

大江健三郎氏逝去

大江 健三郎(おおえ けんざぶろう、1935年〈昭和10年〉1月31日 – 2023年〈令和5年〉3月13日)は、日本の小説家。昭和中期から平成後期にかけて現代文学に位置する作品を発表した。愛媛県喜多郡大瀬村(現:内子町)出身。東京大学文学部仏文科卒。学生作家としてデビューして、大学在学中の1958年、短編「飼育」により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。新進作家として脚光を浴びた。新しい文学の旗手として、豊かな想像力と独特の文体で、現代に深く根ざした作品を次々と発表していく。1967年、代表作とされる[『万延元年のフットボール』により歴代最年少で谷崎潤一郎賞を受賞した。1973年に『洪水はわが魂に及び』により野間文芸賞、1983年に『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』により読売文学賞(小説賞)など多数の文学賞を受賞。1994年、日本文学史上において2人目のノーベル文学賞受賞者となった。核兵器や天皇制などの社会的・政治的な問題、知的な障害をもつ長男(作曲家の大江光)との共生、故郷の四国の森の谷間の村の歴史や伝承、などの主題を重ね合わせた作品世界を作り上げた。上記以外の主な作品に『芽むしり仔撃ち』『個人的な体験』『同時代ゲーム』『新しい人よ眼ざめよ』『懐かしい年への手紙』『燃えあがる緑の木』『取り替え子(チェンジリング)』『水死』などがある。戦後民主主義の支持者を自認し、国内外における社会的な問題への発言を積極的に行っていた。

以上のように、公式には語られる超大物の大江健三郎さんですが、もちろん別の側面(裏の顔)も持っております。それは、積極的に中国共産党に肩入れして日本の社会構造の破壊を仕組んだ活動家としての一面です。中国に早い段階で渡り、そのプロパガンダを積極的に買って出て、かの国(国とは認めていない段階で)の核武装を絶賛するかたわら、日本においては反原発、脱原発運動の旗振り役になるなど、その思想はご都合主義で一貫していたとも言えるのです。これこそ多面的な、多様性に満ちた評価だと思います。

以上